第二十一夜 独白





 





 闇に差し込んだ



 一条の光



 手を伸ばせば届きそうな距離を保ちながら



 いつまでたっても届かない







 捕まえた光は幻で



 捕まった闇は現実で







 どこまでも



 追いかけて来る闇と



 いつまで追いかけても



 手に入らない光に挟まれて





 この世を渡る





 儚き小舟




◇◆◇第二十一夜 独白◇◆◇




 小さかった私が覚えているのは、とても断片的な記憶しかなくて。それでも思い出すのは、貴方の泣く声。男性からみれば不思議な魅力のある女性だったのだろう私の母は、いつも違う人を家にいれていた。その間、私は外にいるか部屋の押し入れの中で静かにその時が過ぎるのを待っていた。今思えば、母が生活の為に何をしていたのかは想像できるけれど、当時の私は何をしているかなんてわかってなかった。けれどそれが終わって男の人が帰ったら、母は私に食べ物をくれた。酷く疲れた顔は、今でも忘れられない。



 狭くて古いアパートでも、私にとっては帰る場所だった。友達なんていなかったけど、外に出て遊んで帰った時、もしノブにかけられた紅い布があればまた近くの公園に引き返した。同じくらいの年のこ達が親に手を引かれて帰っていくのを、いつも見ていた。それが羨ましいと思っていたかは忘れてしまったけれど。



 父親という存在が、居ない事を不思議に思ったことがあった。けれど母にそれを尋ねると、とても悲しい顔をされてしまった。それからは、一度だって聞いた事はない。



 母の温もりを、感じた事はどのくらいあったんだろう。それでも私にとっては母が全てで、その時の私の世界だった。

 

 ある日、母の大きな手に引かれて新吉原にやってきた。物語から抜け出したような建物に、興奮したのを覚えてる。

『ごめんね玲奈…。いいこね。…愛しているわ。…きっと……』

 最後に見せた、貴方の笑顔。優しい言葉とともに、私の心に刻み込まれた最初で最後の笑顔。あなたはこういいたかったんだよね。『きっと、迎えに来るから。』

 

 遠く離れる姿を見ながら、私の全てが失われるのを感じていた。どんなに泣いて縋っても、私はきっと置いていかれたよね。でも、もし私があの時追いかけて縋っていたら、何かが変わっていたのかな。



 幼稚園にも通わなかった私が、大勢の中で生活するのは初めてで、まずその人の多さに驚いていた。でも何より感動したのは、飢える事が無い事だった。朝も昼も夜も、ちゃんとしたご飯が貰えた。天国に連れてきてくれた、その時は本当にそう思ってた。



 成長すると、自分のいる場所がどういう場所かがわかってきた。艶やかな女達に囲まれて、いつかは私もそういう風に働く事を意識するようになった。身体を売る事に疲れた姉さん達も沢山居たよ。大門を行き来する客の様子を見ながら、大門の冷たさを感じたりもした。

 

 恨んでいるかと聞かれれば、それは違うと言いきれる。あの時私が貴方の側に居続けたら、間違いなく私は貴方の重荷だった。だから恨んでなんかない。貴方を苦しめる為に生まれてきたんじゃなくて、貴方の役に立つ為に生まれたんだって、少しでもいいから思いたかった。

 

 悲しくなる事もあったけど、貴方がどこかで生きてくれていると思う事で慰めてた。真実を知った今ではそれも、ただの夢だったけれど。




◆◇◆◇◆




「……玲奈…?」

 眠る玲奈の頬を、涙が濡らす。何か悲しい夢を見ているのだろうか、涙は閉じられたまぶたに塞き止められる事もなく、流れ落ちた場所に吸い込まれて行く。しとしとと降る雨が木造の屋根に当る音だけが、部屋の中に響く。千秋はただ玲奈の寝顔を見つめながら、雨の音に耳を傾けていた。




◆◇◆◇◆




「………朝…」

 玲奈が起きると、千秋の姿はなく、千秋の寝ていたはずの褥はすでに冷えてしまっていた。何をする気にもなれなかったけれど、雨の上がったらしい外の空気でも吸えば気分が変わるかもしれないと、出かける準備をする。莉堂に許可を貰い、昨日と同じように男衆を一人供につけて、ぶらぶらと少しぬかるむ道を歩いていた。

「……あ……」

 昨日見つけた道の端に咲いていたあの花は、雨にぬかるんだ泥にまみれ、誰かに踏まれてしまったのか、もう昨日のように咲き誇ってはいなかった。白く美しかった花びらは汚れてちぎれ、泥にうもれた葉はもう光をあつめることはできない。

 玲奈はその花に手を伸ばした。

(…昨日摘んでいれば、こうはならなかったのかな…)

 そうすれば、少なくともこんな風に無惨に散ることはなかっただろうか。手が汚れることも気にせずに、泥をよけてやる。



『…っひど、い…っこんな…』

 踏みにじられたその花を見つめていると、昨日の千秋の様子を思い出した。

『……どっちが…? …こんなに好きにさせといて、兄妹だって言われただけで…あっさりと俺を切り捨てるのに』

(―――っ違う…)

『あぁ…。大門を出るだけなら、俺に身請けされなくても父さんが出してくれるからか…。…俺はもう必要ないんだ…?』

 千秋の言葉は、玲奈の心に突き刺さる。

(―――…違う……違うよ…簡単なんかじゃない…)

 考える時間も与えられずパニックを起こす玲奈のことを、千秋はわかってくれると思っていた。大門から出たいが為に、千秋に身請けされることを喜んだのではない。やはり信じては貰えないのかと、その事が一番辛かった。千秋を好きだという気持ちを信じてもらえない、その事が一番、胸に痛かった。

 





 道ばたに咲く、小さな花。摘むも踏みにじるも容易いけれど、また命を与える術を知らない。

(……運が良ければ、また咲けるかもしれないから…頑張ってね…)

 雲を掴む様な祈りだと分かっていたが、祈らずにはいられなかった。正午を示す短い影を見て空を仰ぐ。けれど生命を育む光は玲奈には眩しすぎて、無意識に影を探した。

 




[2019年 3月 13日改]