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 白く気高い大理石

 その中の二つの光が私を見るの

 蒼と金のオッドアイ

 少し険しくなった眉

 何も語らない薄い唇


 ―――いいよ。

 私は、あなたのモノだよ。




 Episode 001. Boscage of Lucifer -悪魔の棲む森-





 空間の歪んだ深い森。鳥のさえずりは聞こえない。木々の葉を揺らすさわさわという静かな音だけが響く森だった。そこに響く足音があった。めったに聞こえることの無いその足音は、空間の歪みを気にする事もなく目的の場所までをただまっすぐ進んで行く。木々は、その人物に道を譲っているようだった。避けることも曲がることもせず、最短距離と思われる場所を歩いていく。

「……耳障りだな」

 低い声は苛立まじりで、しかし不思議ともっと聞きたくなるような怪しい響きを持っていた。ピンと伸びた耳はとんがっていて、遠くの音を良く拾っていた。辺りを見渡す二つの目は蒼と金のオッドアイ。どんなものでも引き裂いてしまうだろう牙をぺろりと舐め、口の端を少し上げまた歩き始める。

 しばらくとしない内に、彼の周りの景色が一変した。歪んだ空間が戻り、鳥達のさえずりが聞こえる。早朝のつゆに濡れた葉が、朝の心地よい空気を吸い込んで楽し気に揺れていた。光の差す森の中を、彼はまっすぐに歩いていた。鳥や虫たちは、彼の纏う空気を怖れ、彼が通りすぎるまで息を潜めて待っていた。彼が誰かを知らない木々達は彼の前に立ちふさがって避けようとはしないけれど、彼もまたそれを避ける素振りは見せなかった。けれど木々をまっすぐに突っ切っても、木も彼も、少しも傷ついてはいないようだった。彼の通りすぎた森はまた、ざわざわと息を吹き返した。



 彼はすぐに、小さな村が見渡せる丘の上に辿り着いた。そして、ずっと彼の耳にまとわりついて離れない声の主を探す。聞こえているのは、祈りにも似た歌だった。小さい頃、まだ母と呼ばれた女が生きていた時、その歌を聞いた事がある。声の主はすぐに見つかった。村で一番高い物見塔の最上階で、膝を着き、手を胸の前で組んで、顔をあげ歌っている。彼は黒い翼を広げ、その部屋の窓に舞い降りた。

「…よぉ。なにしてんの?」

 祈りを歌っていたのは、まだ成人して間もないような少女だった。この村では十六歳で成人となる。綺麗なブロンドの長いまっすぐな髪を頭の後ろで纏めていた。グリーンの瞳の目はアーモンド型で、鼻は高くはないが小さな唇はふっくらとして可愛らしい、という表現が似合いそうだ。少女は振り向いて彼を見つけ、小さく悲鳴をあげた。翼は閉まっていたものの、彼の姿はどう見ても人間ではなかった。人では現れないアッシュブルーの髪。蒼の右目と金の左目で彼女を見ている。さらに、長い尖った耳と鋭い牙。けれど、少女はその男の姿を見ても恐怖を抱かなかった。彼の纏う空気は黒いけれど、その綺麗な顔はまるで作られた人形のよう。こんなに美しいものを、彼女はこれまで見たことがなかった。

「ねぇ。聞いてんだけど」

 吸い込まれそうな程まじまじと見つめていた少女は、再度掛けられた声にはっとした。少し不機嫌そうに細められた瞳を用心深く見ながら、少女は立ち上がる。

「……祈願していました」
「ふーん」
「……あの……あなたは…?」
「あんたさ、そんな必死に何祈ってんの」

 少女の疑問を綺麗に無視して、彼はまた尋ねた。興味がわいたのは、あの女に似ているからだろうか。窓から部屋の中に入ると、少女は少し後ずさりをした。

「…子供の安産を…」
「へーぇ。そんなちっこい身体にガキ入ってんのか」

 怯えているのに、走って逃げようとはしない少女を見ていると、少し楽しい気分になってきた。

「お前、名前は」
「………キアラ」
「キアラ、ね。俺はカレル」

 カレルはキアラの前まで一瞬で現れ、その頬に軽く口付けた。何が起きたのかを理解できないキアラからの抵抗はなく、カレルはまた一瞬で窓まで移動し、翼を広げる。

「悪魔からの祝福は、いらなかったか?」

 飛び立つ瞬間、カレルは振り向き様その顔に意地悪な微笑を称えてキアラを見た。未だ理解出来ていない少女の顔は、青いのか赤いのかもわからないような表情をしていた。


 悪魔カレルの消えた窓を、キアラは放心して見ていた。精霊や木霊は空気の澄んだ朝には見られることがあった。四ヶ月前に誕生日を向かえ、成人したキアラは、すぐに村の男と結婚をした。一回り年上の男で、会ったのはその時が初めてだったけれど、この村ではそれは普通のことだった。人口の六割超を男性が占めるこの村では、子供を産める年頃の女の存在は貴重なものだった。出来るだけ多くの子供を産ませるために、女達は村長の決めた相手と結婚した。けれどキアラのように、すぐに子供を授かる事はまれなことだった。――どうか無事に生まれてくれますように――それはキアラの願いでもあり、村の願いでもあったのだ。妊娠が発覚してからというもの、キアラは毎朝この塔に登り、祈りの歌を歌っていた。見守っているであろう神々に、祝福してくれるであろう精霊達に。無事に元気な子供が生まれてくるようにと毎朝。そんな朝に、悪魔というには少し変わった、美しい青年が現れた。

「……祝福…?」

 悪魔に祝福を受けた子供は、どうなってしまうのだろうか。美しい青年は、けれど紛れも無く――悪魔だったのだ。



   -†-†-†-



 ただ頬に触れた。キアラと名乗った少女の表情を思い出して、カレルは含み笑いをした。悪魔の里での生活があまりに単調で面白みがなかったために、今日は少し人間をからかってやろうかと出て来た。耳障りな音を聞き、その主をいたぶってやろうかと思いこの村に来た。さっき気がついたがこの村の人間は、あの女のものに良く似ている。顔つきというか、色合いというか、この村は、もしかしたら魔の森に連れて来られる前、彼女が住んでいた村なのかもしれないとカレルは思った。

「安産…ね。あんなガキがガキ産むってさ。クク」

 やはり、悪魔の里よりも面白いことがありそうだ。カレルは村の外れの大木の上に登り、ころりと寝転がった。そしてすぐに、小さな寝息を立て始めた。



   -†-†-†-



 次の日も、その次の日も、キアラは塔に登り祈りの歌を歌った。しかし毎日、彼女が最後の一節を歌い終わる前に歌は終わってしまった。カレルが悪戯するからだ。

「〜〜もう! カレルっいい加減にしてっ!」
「やーだね」

 毎日毎日繰り返される小さな悪戯。それはキアラの声を一時的に奪ったり、口を塞いでしまったり、スカートめくりであったり。キアラはカレルのことを最初こそ怯えた目で見ていたが、今ではもう彼が悪魔だということすら忘れてしまう程だった。




 そんな風に半年を過ごし、キアラはもう少しで臨月を迎える。

「…カレル?」

 いつものように祈りに来たキアラは、カレルがいつものように邪魔をしに来ないことを不審に思った。けれど彼がいないのならば、久しぶりに祈りをちゃんと行うことができる。

「キアラ! あんたまたここに来て…! あの悪魔にそそのかされてっほら来なさい!」

 村の人達に見つからないよう気をつけてはいたが、キアラの姉デリアには隠し通す事はできなかった。デリアはカレルを遠目に見ただけだが、カレルの美しい顔には恐怖しか覚えていなかった。祈りをしていただけだったが、デリアはキアラがここに来る理由は悪魔と会うためだと思っていた。強引に腕を引かれ、歩いているうちに、キアラは腹部に切り裂く様な痛みを感じた。

「―――っ…っぁ…!」

 キアラの異変に気がついたデリアも、その様子を見て顔を青ざめさせた。彼女のお腹には村の期待されている子供がいるのだ。ここまで順調に育っていたというのに、こんな所で流すことにでもなれば大変だった。

「キアラっ! ちょっと…大丈夫!? 今薬師様を呼ぶからっ」



   -†-†-†-



 しゅんしゅんと、湯が沸く音が聞こえた。キアラは良く知る天井を見ていた。

「……あの…子供は…」

 姉のデリアと、母、父の絶望に沈む顔を見れば、答えは容易に想像できた。それでも、少しの期待を胸に薬師に問う。

「…非情に危険な状態です。このままでは…胎児どころか、お母さんであるあなたの命も危ないかもしれない」

 その言葉は予想していたものだったけれど、胸を突く痛みは予想を大きく超えていた。突然に息が苦しくなり、涙が溢れて落ちる。

「……本当に…もう…?」
「死んでいるわけではありません。けれど…何日もつのかは…」

 薬師の帰った部屋では、キアラだけが残っていた。家族の落胆ももちろんだろうと思う。母は村長で、キアラの結婚も彼女の取り計らいだった。相性が良かったのかすぐに子供を授かり、村の誇りとキアラのことを話していた。

「……ぅ…―――っ」

 押し殺そうとした嗚咽は、小さな部屋にやけに響いた。


 次の日、キアラは外に出た。キアラは塔になんとか登ると、また祈り始めた。「あと何日もつかは―――」けれど、まだ生きてる。自分に出来ることは、こうやってただ、無事に産まれることを祈るだけなのだ。



   -†-†-†-



 空間の歪んだ森は、悪魔の里に続く道だ。この場所を人間が訪れても、迷路のような森の中に迷うだけで、決して悪魔の里に辿り着くことはない。カレルは鼻歌でも歌いだしそうな上機嫌さで、その森を抜けた。途中に生えていた木がその進路を邪魔するので、焼き払ったり抜き払ったりしたけれど、カレルはとてもご機嫌だった。こんな風に楽しいと思ったのは、たしかまだカレルが小さい頃、襲ってきた沢山の下級悪魔の、死骸の山を築いた時以来だったかもしれない。

 村にカレルがついた時、時刻はまだ真夜中だった。キアラが祈る時間まではまだ数時間ある――はずだった。

「?」

 カレルは、真夜中であるにも関わらず、聞き慣れた声が聞こえることに気がついた。ただその声は小さく、今にも消えてしまいそうな程だった。

「……あんた、何やってんの」

 塔の最上階にはいつものように、キアラがいた。キアラはストールを敷いただけの石の床に仰向けに転がり、手を胸の前で組んで祈りの歌を歌っていた。その表情は蒼白で、祈りを歌う声には悲壮感が漂っている。気づいているのかいないのか、カレルの問いにキアラは答えなかった。いつもと違うキアラの様子に、さっきまでの上機嫌はあっという間に消え去ってしまう。苛立を隠しもせず、カレルはキアラの額に軽くデコピンをした。
 いつもならば怒ってやり返しにくるキアラが、虚ろにカレルを見る。

「……カレル。私の赤ちゃん…死んじゃうんだって」
「……」
 
 キアラが元気でない今の状況は、とても面白くなかった。子供が死ぬことは、そんなに悲しいことなのか。いつか、命は尽きるのに。早いか、遅いかという違いしかないのに。

「それで?」

 キアラはカレルの言葉を聞いて、彼から視線を外した。そしてか細い声でまた祈り始める。それをしばらく聞いていたカレルはとても腹を立てていた。横になっているキアラの身体を持ち上げて立たせ、俯く彼女の顎を持って上向かせた。

「あんたさ」

 不機嫌を隠しもしない、カレルの表情はキアラが見たこともない程険しかった。少し怖れを抱きながらも、カレルの言葉を待つ。

「あんた、いったい何に祈ってんの」
「…?」
「見守るだけの神様? 偽善的で優しい天使? それとも、見返りのいる悪魔に?」

 何に祈るのかもわかってないあんたに、手を貸す奴なんているの? カレルは嘲笑と共にキアラを離した。そしていつもの窓から翼を広げて飛び立って行く。キアラは彼が飛んで行く方向を、ただ呆然と眺めていた。






   -BEASTBEAT 悪魔の天使-