02









 例えば胎児の時の記憶があったら

 それは素敵な事だと思う



 ―――どんな事を語りかけていたの?

 ―――あなたはどんなひとだったの?



 私の知らない声

 私の知らない話

 私の知らない事を全部


 ―――全部、覚えていられたら良かったのに




 そうしたらこんなにも


 切ない気持ちにならなかったのかな




 Episode 002. unexpected twist of fate - 運命の悪戯 -





「何か…何かあるでしょう…?」

 村長《むらおさ》である母が管理する村一番の書庫に、キアラはいた。古い本のかびた匂いが鼻をつくが、時間が無い事を知らせるかのようにじわりじわりと腹部を襲う痛みがキアラを突き動かしていた。

 書庫は村の外れ、大きな森のすぐ側にあった。滅多に人が来ないので、もしここでキアラが倒れていても誰も気がついてくれないだろう。外からみると、小人の家のように小さいが、中には地下に続く階段があり、それを下ると石造りの広間に出ることができる。広間は五角形で、それぞれが別の部屋へと続いていた。部屋の入り口にはそれぞれ布のカーテンがかかり、年代別に保管できるようになっている。更にその一つの部屋に入ると、本の種類ごとにわけて、壁一面びっしりと本で埋め尽くされていた。

 キアラは探していた。自分たちが生き残る方法―――子供だけでも助ける方法を。村の薬師は、原因も解決法もわからないと言った。けれど、子供はキアラの腹の中で、確実に死に向かっているのだという。そしてその子供を宿し続ければ、キアラの命さえ危ういのだと言っていた。薬師はその膨大な知識と、精霊達の力を借りて病を診る。見た目にわからない事でも、その周りの精霊達の様子である程度のことがわかるらしい。―――原因不明の病に、どうやって挑めばいいのか? キアラにはその答えがわからなかった。いつもただ祈って、「誰か」が助けてくれるのを期待しているばかりだった。けれどそれではダメなのだと、カレルの言葉を聞いて思ったのだ。

「―――っも、ちょっとさ…頑張ってね」

 つきりと腹が痛むのは、子供が中で苦しんでいるからなのだろうか。そうかと思うと、キアラは遣る瀬ない気持ちになった。どうしてこんなに小さな命が、もう危機に瀕しているのだろうか。まだ外を知らない。まだ空気の味をしらない。この子供はまだ、光を知らないというのに。

 どうにかして方法を探してみようとここに来たが、とても古いものばかりで虫が喰っていたり、インクがにじんでしまったりで、あまりめぼしいものは見つからなかった。落胆する気持ちを抑えきれず、大きく息を吐き出してキアラはその場所に座り込んだ。すると、本を出し入れする時に落としてしまったのか、「魔女の薬」と言う題の本を下敷きにしてしまった。慌てておしりの下から取り出して、その題名に惹かれ中をぺらぺらとめくる。

『蛇酒にマンドラゴラを入れ、カエルの肝を入れると、万病に効く薬ができる』
『トカゲの尻尾、プラナリア、人参をすりあわせて飲むと、不老長寿になれる』

 呼んでて面白いが、そんな事が本当にあるのかと思えるような効能ばかりだ。けれど万病に効く薬、というフレーズは心をくすぐる。取りあえずと最後のページまでをざっと見たキアラは、その最後のページを開いたまま動きを止めてしまった。

「………あくま……の…」

 描いてあるのは、インプと呼ばれる小さな悪魔の頭を切り、その血を飲む女性の絵だった。そこには、『悪魔の血は命の水と呼ばれ、その効力ははかり知れないと聞く。それは万病に効く薬だが…』この後ろが、破れてしまって見ることができなかった。キアラはじっとそのページを読んでいたが、しばらくすると一度ぎゅっと目をつぶってから立ち上がり、薄暗い書庫を出た。



   -†-†-†-



 もう死んでしまっているのだろうか。そんな事を思いながら、カレルはいつもの道を歩いていた。空間は歪んで、それがまっすぐなのかどうかは普通のひとには分らない。そんな森の道のない道を、ただゆっくりと歩いていた。そうして、しばらくとしない内に小さな村に着く頃、村の外れ、悪魔の棲む森の方角に向かって、一人の少女が倒れているのを見つけた。カレルはその少女に近づいて尋ねる。

「なぁ、キアラ? 死んでんの?」

 キアラは大きくなったお腹を抱えるようにして、横向きに倒れていた。そしてカレルの声を聞き、少しうめく。

「…また祈ってたの?」

 カレルははぁと息を吐きながらも、キアラの事を抱き上げた。村の方に向かって歩きながら、ほとんど意識の無いキアラに聞いた。

「……かれ…る…?」
「なに」

 返事が来る事など期待していなかったカレルは、キアラが口をきいたことに驚いて立ち止まった。ゆれのなくなった腕の中で、キアラは苦し気ながらも口を開く。

「…祈ってたの…あくまに……あなたに…」
「悪魔に? 子供の安産を?」

 ふっと笑ったカレルに、キアラは頷いた。もう、何に頼った良いのかわからない。命の炎は少し風が吹くだけで消えてしまいそうな程にか細い。

「悪魔の…血が…」
「あぁ。俺の血が欲しいわけね。命の水とか呼ばれてたからね、昔コッチでは」

 カレルはキアラを木陰に座らせた。草が生えているから、別に痛くはないだろう。藁にもすがりたいキアラが、必死で調べてきたのだろうか。大昔流行った悪魔狩りの事でも爺婆にきいてきたのだろうか。

「悪魔の血は、確かに効果が計り知れない薬になるらしいし、もしかしたらあんたの子供も助かるかもね」

 カレルの言葉は多分、キアラにも聞こえているだろう。嬉しさと安堵で、キアラの頬にうっすらと桃色がさす。

「ただし、大抵の人間には毒なんだけどねー」



   -†-†-†-



 ―――昔、悪魔がまだ人里に降りる事が珍しくなかった頃。重病に冒された一人の少年がいた。薬師は打つ手がないと彼の事を見放してしまっていた。伝染するのかもわからないその病は全身に斑点が現れ、見るにも耐えないものだった。元の肌が何色だったのかを伺い知る場所の無い赤や青の斑点のある少年はいつもひとり、小さな小屋にたったひとりで暮らしていた。

 どんどん悪くなる一方の身体で、少年はそれでも生きることを諦めきれずにいた。そんな時、一匹の小鬼が少年の前に現れたのだ。小鬼は少年を見て一言こう呟いた。

『ケラケラ。内側からその病を追い払う方法があるんだよなぁ』

 悪戯好きの小鬼の言う事を、少年ははたから信じていなかった。けれど、生きることを諦められない少年は小鬼に尋ねる。

『それは、どうすればいいの?』

 小鬼はケラケラと意地の悪そうに笑いながら、少年の周りを踊りはじめた。

『簡単簡単。簡単さ。悪魔の血をさ。飲むんだよなぁ』

 小鬼は周りを踊り歩いていたかと思うと、そんな風に唄いながら消えていった。少年はその日から、悪魔を探して歩くようになった。


 村の外れから大分歩いたところには、決して入ってはいけないと村人の間で伝わっている大きな森があった。その森の入り口は、入って下さいと言わんばかりに大きな木の根が二股になり、その根の下が丁度人が入れるようなアーチになっていた。少年にはその入り口に入る勇気は無かったけれど、いつもどこからかやってくる悪魔と呼ばれる者たちは、きっとここから現れるのだと考えた。だからずっと、この周辺を探していたのだが、ある日、ついに少年は小さな使い魔を捕まえることに成功した。

 殺さない低度に血を抜くつもりだったのだが、飲めるような量を確保する頃には、使い魔は動かなくなっていた。少年は使い魔の墓を掘り、その中に使い魔を埋めてしまってから、悪魔の黒々とした血を見た。とても飲みたいと思うようなものではない。けれどこれを飲めば、もしかしたら自分の病は治るかもしれない。もし治らなくても、やってみる価値はあるのでは。そう考えた少年は、コップに入ったその血を一気に喉の奥へ流し込んだ。


 少年は身体の焼けるような痛みにのたうち、このまま死んでしまうのだと思った。ふと前を見れば、悪魔の血の話をしていた小鬼が、もう一人の小鬼とケラケラと笑っている。悪戯好きの小鬼の玩具にされて、死んで行くのか。少年はそう思いながら、意識を飛ばしてしまった。



 少年が目を覚ました時、辺りは真っ暗で、静まりかえっていた。自分は死んだのだろうと闇に手をかざしてみると、自分のものではない手が見えるだけだった。誰かいるのだろうかと見渡すが、自分以外の誰もいるような気配はない。

『ケラケラケラ。珍しい事もあるもんだなぁ』

 聞き覚えのある声の方を向くと、淡く光りを発した小鬼がこちらを見て笑っていた。暗さに目が慣れ、まわりの景色が見えるようになると、そこは地獄でもなんでもない、少年が悪魔の血を飲んだ場所だった。生きている事に驚くと共に、少年はさっきまで他人のものだと思い込んでいた手が自分のものであることに気がついた。慌てて足や身体を見て、近くの水たまりで顔も確認すると、血を飲む前まで確かにあった斑点が消え、身体も軽くなったようだった。

 小さな村の少年の噂は瞬く間に広がり、『どんな病も治す薬』と、悪魔の血を得るための悪魔狩りが始まった。悪魔の血は高値で売買され、悪魔ハンターは利益を貪ることになる。しかし、そんな悪魔狩りブームは半年も待たずに消え去った。絶大な効果――時には瀕死の者をも回復させる力――を示す一方、その血を飲んだ大半の人間は、狂い死にをしたからだ。



   -†-†-†-



「悪魔の血には大きな魔力が入ってんだ。人間がそれを飲んだ場合、内側から生命に似たエネルギーが生じるわけ。でもそのエネルギーは大きすぎて、大抵の人間には毒になる」

 悪魔の血を飲んだ者の多くは、自身の細胞までを壊す絶大なエネルギーと、同じエネルギーで最大まで活性化された自身の治癒エネルギーで無限に続く破壊と再生の痛みに耐えられず、死んで行くのだった。ただし、何千何万人に一人程度、相性がいいのかその強すぎる薬《どく》を飲んで難病を治したり、命を得たりする者が現れる。今ではリスクを背負う事を覚悟でその血を飲もうとする者すらいないので伝説になっているが。


 キアラはもうすぐ死んでしまうだろう。人間の魂は、死期が近づくと現れる。キアラの魂はずっと彼女の心臓の位置に揺らめいていた。澱《よど》みの無い綺麗な魂は、悪魔の大好物だった。魂が綺麗な命の色をしていればしている程、それを喰った時に悪魔の力も大きくなるのだ。カレルは舌なめずりをしそうになる口元をきゅっとしめた。

「私は…もう、長くはないのよね」
「あぁ、うんそうだね」

 キアラの言葉に、カレルは答える。自分で死期を悟っている。隠すこともないだろう。

「子供を流せば助かるんじゃないの?」

 キアラはその言葉に首を振った。キアラが助かっても、子供を殺してしまうのでは意味がない。

「このままじゃ…二人とも、死んでしまうのよね」
「そーなんじゃない?」

 キアラは少し息を吸い込み、そして一息に言った。

「だから祈っていたの。カレル、私にあなたの血をちょうだい」

 今の話をきいてなお、「悪魔の血」を欲するのか。カレルはキアラの言葉に軽く驚いてみせる。

「はは。もう少しで綺麗な魂が二つも手に入るのに、俺がそんな事すると思うの? 血が欲しいなら悪いけど他あたってよ」
「私の魂はあげるわ」
「だから、何にもしなかったら俺はその子供の魂も手に入るんだって」

 カレルの血を飲んだからと言って、子供が助かる保証はない。現状助かる見込みが無いものが、ほんの少し、針の穴に糸を通すようなものだけ、その確率が上がるだけだ。上手くいけば、二人とも助かるかもしれない。けれどその上手く行く可能性は限りなく零だ。カレルは笑っていた。悪魔である彼に、そんな条件で交渉ができると思っているのだろうか。

「血をくれないなら、私自殺するわよ」
「!」

 今まで余裕のあったカレルの表情は、少しの驚きに変わった。けれどこの瞬間に、キアラはほっとしたのだ。いくつもの本を読んだけれど、確証があるものは一つとしてなかった。

「自殺してしまった魂は汚れて、悪魔はそれを食べられないんでしょう?」

 全てが確証の無い切り札。キアラはしかし、そんな手札で勝利したらしい。カレルの表情がさっきまでのものと違う。

「いいのよ。あなたが血をくれないなら、この子共々、自殺するから」
「……今のあんたに、悪魔の血を命の水に変える力は無いと思うけど。大人しく子供降ろせば? それか大人しく旦那んとこで、死を迎えた方がいいんじゃないの? 俺も何度か見たことあるけど、結構むごい感じだったよ」

 頭の螺子の切れた娘。カレルはキアラの印象を改めた。頑固で肝の据わった娘に。

「私の子供の魂も、いずれはカレル、あなたのものよ。でもまだ育っていないでしょう。必ず、とびきりの魂に育つから」

 最後は懇願だった。悪魔に祈った娘。悪魔に懇願した娘。――けれどその魂は、驚く程に瑞々しく、輝いている。

「ちぇ。わぁかったって」

 カレルは指で宙を掻いた。すると空間が歪み、黒い紙のようなものが現れた。カレルは指の先を歯で少し傷つけて、さらさらと文字を書いて行く。

「手、出して」

 キアラの指を持ち、同じように少し傷つけてキアラの名を書いた。そしてそれを黒い炎で燃やす。

「契約、完了。あんたの魂と、綺麗に育つっていうあんたの子供の魂は俺のものだ」

 カレルは言うや、また空間を歪めて小瓶を取り出した。そして自分の服の胸元をあけ、自分の心臓目がけて爪を立てる。吹き出した血を小瓶に入れ、蓋をしてキアラに渡した。

「悪魔に魂を売るなんて、本当に昔話みたい」
「ははは。あんたが死ぬの、楽しみにしてるよ」

 心臓から血をたらしながら、カレルは徐々に見えなくなった。キアラは彼のいなくなった空間をしばらく見つめていたがやがて小瓶の蓋をあけ、中のまだ温かく黒い液体を、一息に飲み干した。













   -BEASTBEAT 悪魔の天使-