03








 側にいたって

 いつも見てたって

 そう言ってたけど


 私は知らないよ

 そんなこと

 全然知らない





 わからないよ

 独りか、独りじゃないかなんて



 Episode 003. honeyed fruitage - 甘い果実 -



 もうすぐ日が暮れるのだろう。窓の外から聞こえる子供達の声が遠ざかっていく。もう何日、ベッドに張り付いているんだっけと、ユキノは指を数えてため息をついた。ベッドの上から抜け出して、外を歩いた日を思い出す方が早い。もう少しで十二歳になるユキノは、一年のほとんどを家の中で過ごしていた。学校も、数える程しか行った事がない。勉強は全て祖母か、伯母が見てくれていた。父と呼ばれる存在は、この村には存在しない。女の貴重なこの村では、どの種がその娘に子を成すことができるのかがわからないのだから、一度結婚をし、一年程で別の男と結婚をする、というのが一般的になっていた。もちろん子供が生まれれば話は少し変わってくるが、母方の家で子供を育てるのが一般的で、その家の血を絶やしたくなければ女児を産むしか手がないのが現状だった。
 ユキノは小さい頃から病弱で、家の者はユキノを外に出してはくれなかった。何が悪いのかは薬師にもわからず、少しずつその症状は悪化していた。

「…はー。誕生日、嫌だな」

 女が貴重なこの村の事を思えば、それは仕方がない事なのだろうか。ユキノにだって、自分のような女でも、大切にされている理由はわかる。男がいなければ種が、女がいなければ卵が、どちらが重要というわけではなく、どちらもなければならない。この村ではたまたま女が少ない為に、女はとても大切にされるのだ。
 この村の結婚は大抵十五歳くらいだ。ちょうど成人の時あたりに子供が生まれるように。けれどユキノの身体は、きっとそれまでに今よりももっと悪くなってしまう。家族は考えたあげく、ユキノにとって辛い選択をした。出産すら難しくなる前に、ユキノに子供を産ませてしまおうというのだ。生理の始まったばかりの身体ではできる可能性は低いかもしれないが、それでもやってみる価値はあると踏んだのだろう。ユキノの祖母は、この村の村長《むらおさ》をしている。世襲制のこの村で、自分たちの血を絶やさない為、ユキノに女児を産んでほしいのだ。伯母には既に子供がいるが、全員が男の子で祖母の期待は今や全てユキノに集まっていた。

「痛いのかな…。はー」

 結婚の事をきいたユキノは、ため息をすることが多くなった。

「……私の事なんて、嫌いなくせに」

 女であるという事で、村の皆からはとても大切にされるが、祖母と伯母はそうではなかった。いや、優しい事は優しいのだが、優しい言葉の反面、冷たい視線が突き刺さる。勉強の時間以外、ユキノと関わろうとしない肉親を、ユキノは寂しく感じていた。母が生きていれば、こう寂しくはなかっただろうか。ユキノの母は、ユキノを産むのと引き換えに死んだのだと聞いていた。

 生まれた時から母の顔を知らないユキノはわからないが、ユキノは母にとてもよく似ているらしい。村で出会う母世代の人たちは、ユキノがもう少し成長したら母のように美人になるとよく話してくれる。そんな事を考えていると、突然部屋の中に風が入ってきた。窓を開けた覚えはないのにと不思議に思い、窓の方を見るが、やはり窓は閉められたまま開いた形跡はない。おかしいなと視線を戻して、ユキノは息を止めそうになった。自分のベッドのすぐそばに、見知らぬ青年が立っていたからだ。

「…よぉ」
「……」
「…口、きけないのか」
「……誰か…ふご!」

 叫ぼうとしたユキノの口を、青年は当然のように手で押えた。

「面倒臭くなんだろ? あんたの為にも、あんま大きな声だすべきじゃないと思うよ」

 脅迫めいた台詞が怖いほど良く似合う青年は、ユキノの顔をまじまじと見つめてから軽く口笛を吹いた。口を抑えていた手を離して、腕を組む。

「近くで見るとますます、似てんな」

 恐怖と驚きで声が出なくなったユキノは、わけのわからない事を呟く青年を凝視していた。夕暮れのオレンジ色の光に照らされた彼の肌は白く、手はひんやりと冷たかった。瞳は左右色が違っていて、オレンジの明かりではよくわからないが、左はとても薄い色をしている。そして、彼の耳はぴんと尖っていた。

「おい。聞いてんの?」

 噂にはきいた事があった。この村には昔、悪魔が時々現れていたのだと。けれど今ではほとんど見ることは無いはず。

「なぁって。これ以上無視すっとキスすんぞ」
「え。わぁ?! ななななんですか」

 驚きに捕われすぎて、この青年の事を無視してしまっていたらしい。ユキノが気がついた時、あと十センチという所まで彼の顔が迫っていた。青年はユキノが返事した事を確認すると、すっと身を引いてまた腕を組んだ。

「名前」
「は」
「お前の名前は」
「……ユキノです」
「ふーん。そう」

 青年はまたユキノの顔をまじまじと見て、「しかし似てんな…」と呟いた。居心地の悪い空気は、突然響いたドアのノックで掻き消えた。祖母が夕飯を持ってきたのだろう。

「ユキノ? 夕飯だよ」

 いつもならすぐに返事をするが、この目の前の青年がいるのを祖母に見られても大丈夫なのだろうか。青年を見ると、どうぞ、というようにあごでくいっと合図した。

「でも…」
「ユキノ? 寝てるのかい」

 ユキノの返事を待たずに、ドアはゆっくりと開き始めた。ユキノは焦って起き上がろうとする。ドアが完全に開いて、祖母が驚いた顔でユキノを見た。

「ユキノ…」
「おばあちゃん、これは…」
「起き上がっても大丈夫なのかい」
「え?」

 祖母の驚きが、青年の事ではないという事に驚いて、また青年の立っていた方を向くと、青年の姿は見えなくなっていた。夢だったのだろうかと首を捻るユキノに、祖母はほら早くベッドに戻って、と促す。

「…ねぇ、おばあちゃん?」
「なんだい」

 夕食をベッドサイドテーブルに置いた祖母はすぐに部屋を出て行こうとする。ユキノはドアノブに手をかけた祖母を呼び止めた。

「お母さんて、綺麗な悪魔と友達だったの?」

 さっき見た青年は、悪魔と呼ばれるものだろう。祖母も伯母も母の事をあまり話したがらないから、母がどんな人だったのかユキノはほとんど知らなかった。さっき見た青年は、ユキノを誰かに似ているとしきりに呟いていた。それはきっと、ユキノの母、キアラのことだろうと思ったのだ。興味で聞いてみたが、予想通り、祖母は少し嫌な顔をした。

「馬鹿な事言ってないで、あんたは自分の身体を心配なさい」

 馬鹿なこと。母の事を知ろうとすることは馬鹿なことなのだろうか。祖母が部屋を出て、ドアが閉められてまた一人になった部屋で、ユキノはまたため息をついた。



   -†-†-†-



 次の日、ユキノは熱を出した。最近出していなかったのに、これでまた一週間は外出を禁じられてしまうなと、くらくらする頭で考えた。薬師も帰り、部屋にはまたユキノ一人きりだった。祖母も伯母も、仕事が忙しくてユキノに構っている暇はない。それはわかっている事だが、寂しい気持ちは抑えられない。

「ユキノ。お前、外に出ることないわけ?」

 うとうとと寝そうになっていたユキノは、近くで聞こえた男の声にはっとした。刺々しい言葉なのに、不思議と聞いていたくなるような甘い音を持っていた。朝の光でみると彼の顔はいっそう輝いて見える。昨日はっきりとわからなかった瞳の色もはっきりと見て取れた。蒼い右目と金色の左目をもつ美しい人は、ユキノのベッドのわき、顔のすぐちかくまでやってきてまた腕を組んだ。熱のために喋ることもままならず、ぜいぜいと息をもらすユキノを見て、青年はなるほどと口を開いた。

「…あぁ。弱いわけね」

 もうちょっと、言い方というものがあると思う。けれど不思議と、怒りは抱かなかった。

「あなた…は」
「? あぁ、名乗ってなかったんだっけ? なんか、似すぎてて生き返ったのかと思ってたのかもな。俺はカレル。見たのは初めて? 悪魔」

 息が苦しかったので、こくりと首だけで返事をした。悪魔という生き物はもっと、絵本で見たように醜いものなのだと思っていた。こんなに綺麗な悪魔がいるなんて。ユキノはカレルと名乗った悪魔から目を離すことができずにずっと見つめてしまっていた。すると、カレルの顔が近づいて来る。

「……え…?」
「そんなに、俺の顔が好き?」

 ニタリと笑うカレルに言われ、赤くなって顔を背けた。そんなユキノの態度が面白かったのか、カレルは長い指をユキノの頬にあてて自分の方を向かせた。

「性格は、お前の方がちょっと可愛いよ」

 そんな事を言いながら、ユキノの頬にちゅ、と軽いリップ音を響かせてキスをする。顔を抑えられたまま、逃げられないユキノは混乱してしまって、ただ目を泳がせるしかなかった。

「じゃぁまたな」

 悪魔はユキノを離すと、一瞬で窓まで移動していた。そして窓を開け、消えてしまった。



   -†-†-†-



 懐かしいブロンドの髪。キアラよりも少し幼いが、その瞳は彼女と同じくアーモンド型で、綺麗なグリーンをしていた。赤ん坊が生まれてから、時々悪魔の森から出て来た時、遠くから見ることはあっても今まで何故か近くに寄ろうとは思わなかった。カレルはおもむろに、手の平にエネルギーを集め始めた。以前のものとは比べ物にならない、限界を知らないのではと思う程のエネルギー。これは十二年前、彼女に与えられたものだ。彼女の魂は、彼に莫大な力を与えてくれた。悪魔の里で、彼程の力を持つ者が他にどれだけいるだろうか。力が全てを決める魔の世界で、彼をサタンにと推す声も、最近では囁かれるようになった。カレルにしたらどうでも良い話だが、この溢れる様なエネルギーはとても心地がいい。

「必ず育つ。そう言ったよなぁ?」

 カレルは集めたエネルギーを空に放った。真上にあった雲が裂け、森の一角に光が差す。死の間際、彼女が言った言葉をカレルは忘れていない。言葉通り、キアラの娘の魂は、綺麗に育っているようだった。

「もう、すぐかな」

 カレルは上唇を嘗めた。ユキノの魂は、もううっすらとその姿を現している。つまり、彼女の死期が近づいているのだ。胎児の時に死にかけていた事を思えば、今までよく生きたと褒めてもいいくらいだ。カレルはにやける口元を抑えられなかった。あんなに美味い魂を、もうすぐまた食べられるのかと思うと。








   -BEASTBEAT 悪魔の天使-