長くても 短くても 小さくても 大きくても それにはそれぞれに価値があって 見知らぬ誰かのモノじゃない きっと 全部が 誰かの掛け替えのないモノで 言葉にならない程 大切なモノなの Episode 004. whereabouts of ANIMA - 魂の行方 - 朝から食欲がなく、ユキノは食事のほとんどを残したままごちそうさまをした。今日は祖母も伯母も、どこかそわそわと落ち着きがない。理由はわかっていた。今日、ユキノの婚約者がやってくるのだ。 「熱が下がってよかったわね。ユキノ、着替えてなさい」 ユキノは言われるまま、伯母の用意してくれたワンピースに着替えた。この村では、女の方に選択権がある。という事になってはいる。けれどユキノの様に、家の都合で相手が最初から決められている事は珍しくなかった。割り切っているはずの頭は、今朝からずっともやもやしていた。ユキノは億劫な表情のまま、相手の男が来るのだという客室に向かった。 「もうすぐいらっしゃるからね」 相手の男は、祖母の友人の孫という事を聞いていた。年はユキノより少し上らしい。真面目で誠実な青年なのだと、祖母は話していた。そうしている間に、ドアのノックが聞こえた。祖母が返事をすると、扉が開き、伯母と、その後ろに付き添いであろうおばあちゃん、そして更に後ろから聞き及んだ通り真面目そうな青年が入ってきた。丸い眼鏡をかけ、少し茶色い髪の毛を綺麗に揃えて切っている。伯母は案内係だったのか、彼らを部屋に通すと部屋を出て行ってしまった。 「あぁ、よくいらっしゃいました」 祖母はおばあちゃんに駆け寄り、その手をぎゅっと握った。そして後ろにいた青年にも同じように挨拶をする。二、三言葉を掛け合うと、ユキノの座っているソファの前に三人が並ぶようにやってきた。ユキノは自分が注目を浴びていることに戸惑いながらも、立ち上がって礼をした。 「初めまして。ユキノ=ヴィセンティーニです」 顔を上げて彼を見ると、青年は温和そうな微笑みをたたえながらユキノに手をさしだした。 「初めまして。ラフ=アモルーゾと申します」 にっこりと差し出された手を、まさか握らないわけにも行かない。ユキノがその手をそっと取ると、ラフは力強く握手をした。四人がソファに落ち着くと、付添人同士のお喋りが始まった。 「本当に可愛らしいお嬢さんで。さすがサラさんのお孫さん」 「まぁ。ありがとうございます。ラフさんも随分大きくなって。良い男に育っちゃって私の方が緊張してしまいますわね」 ラフはニコラと名乗ったおばあちゃんと、ユキノの祖母との話に時々入ったりして、会話に笑いを起こしていた。会話に入れずに黙ってばかりのユキノにも話を振ってくれるが、ユキノは曖昧に笑うだけだった。 「ちょっとラフ、サラさんと二人で話したいからユキノさんと席を外してくれる?」 ニコラがそういうと、あぁ、とラフが立ち上がり、ユキノにそれでは行こうか、と手を差し出した。とても自然な動作だったので、またユキノは彼の手を取らないわけに行かなくなる。祖母達のいる部屋を出て少し歩くと、伯母と会った。ラフがどこに行ったらいいのかと尋ねると、伯母はユキノの部屋に行ってはどうかと提案をした。ユキノは少し嫌だったけれれど、全ては打ち合わせされていたかのように、伯母は自然にユキノの部屋へと案内を始める。手を引かれているユキノはそれについていくしかなかった。 -†-†-†- 伯母のいなくなった部屋では、二人はユキノの部屋でセンターテーブルを挟んで向かい合わせで座っていた。自分から何も話そうとしないユキノだったが、ラフが絶えず話しかけてくれるので会話が無くなることはなかった。 「会ってみて驚きました。まさかこんなに可愛らしいお嬢さんだなんて」 「ラフさんだったら、私のような子供じゃなくてもっと…ふさわしい人がいたでしょう?」 「はは。子供なんかじゃないですよ。ユキノさんは立派な女性です」 少しずつ噛み合ないように感じ始めたのは、こんな会話をした後からだった。そして話しているうち、ユキノはラフの目が笑っていない事に気がついた。口元と声で笑っているときも、その目はちっとも笑っていない。ラフは二十四歳だと言っていた。大人の男性であるラフから見れば、普通であればもう少しで十二歳というユキノはとても子供に見えるだろう。けれど彼の目は、ユキノを子供という風には見ていなかった。ならば対等に見られているのかというと、どうもそういう風でもない。彼は注意深く隠しているようではあるが、その目は何かユキノの事を観察しているようだった。―――まるで、獲物を見定めている狩人のように。 ユキノが彼に少し恐怖を感じた頃、部屋をノックする音に気がついた。立ち上がって部屋を開けると、にこやかに笑う祖母とニコラだった。ラフもいつの間にかユキノの後ろにきていて、ユキノは萎縮してしまう。祖母はユキノのそんな様子を、照れてしまっているのだと話し、みんなを笑わせたが、ラフがユキノの肩に置いた手からぞわぞわと恐怖が起こって来ているユキノだけは、笑う事ができなかった。 -†-†-†- 「やっぱり良い青年だったじゃないか。ユキノ、良かったね」 「ほぉんと。私もあと二十年若かったら結婚させて欲しかったわね」 祖母と伯母は、どうやらすっかり彼の事を気に入ってしまったらしい。彼らが帰った後から、しきりにラフの話で盛り上がっている。ユキノは憂鬱な気分を抱え、一人部屋に戻った。自分の部屋のドアを閉めると、ユキノはそのままの形で止まってしまった。部屋の中に、人影を見つけたからだ。 「何固まってんの? もっと入ってくれば?」 カレルは当然のようにベッドに寝転がって頬杖をつき、ユキノに手招きをした。 「え…カレル」 「今日は起きてていいんだ? あ? お前、どうした、その顔」 「え?」 カレルは起き上がると、あっという間に側に来て、ユキノの顔に手を当てて上を向かせた。 「死んだような顔してんぞ」 今まで気づかなかったけれど、近くに見る彼の、左の目の下に小さな黒子《ほくろ》があった。傷一つない、大理石のようなその美しい顔にある小さな黒点が、余計にその芸術性を煽っているような気がした。当てられている手はやはり冷たくて、ユキノを見下ろす瞳は細められている。そんな事を観察しているうち、ユキノは自分の身体が浮遊している事に気がついた。 「え!?」 驚きの声を上げると、カレルはユキノを見てにやと笑った。そしてユキノを横抱きに抱えたまま、窓を開け、空へと飛ぶ。空を飛ぶ等初めてなユキノは、落ちてしまわないかとカレルにしがみついてしまった。怒られるかと思ったが、彼はそんな事おかまい無しに前を見ている。 しばらく飛んでいると、少し肌寒くなってきた。カレルは平気そうにしているが、寒くはないのだろうか。ぶると身震いすると、カレルがユキノに目を向けた。 「何。寒い?」 「え…うん。ちょっと」 「あんたほんと弱っちぃな」 カレルは文句を言ってまた前を向いてしまった。けれど、さっきと同じ高度を飛んでいるらしいのに、周りが温かくなったようだ。不思議に思ってカレルをもう一度見ると、彼はまだ寒いの? と首を傾げる。きっと、カレルが何かしてくれたのだろうと、ユキノは素直に礼をいった。 「ありがとう」 「あ? あぁ」 何でも無いというように返事をしたカレルに、やはりユキノは恐怖を抱いていなかった。悪魔であるというのに、こんな風に抱き上げられていてもさっきラフの手が触れたときのような嫌悪感もない。 「ユキノ」 「え?」 「お前、キアラの記憶とか無いんだろ」 突然母の名前を出され、ユキノは驚いた。けれどいつもは祖母と伯母は母の話を嫌がるから、嬉しくもあった。頷くと、カレルはふーんと言うだけで特に話しをするわけではなかったが、それでも、母が話題に出せるだけで嬉しかった。 「おら。着いたぞ」 ユキノが少しうとうととしてきた頃、カレルがそう言った。目を開けてみると、もう周りは夕暮れで、赤い光に包まれていた。光に慣れ辺りを見渡したユキノは、あまりの光景に息を詰まらせた。 「……凄い…」 そこに広がっていたのは、ユキノが見た事もなく美しい光景だった。夕焼けに染まる、大きな海。山奥で暮らしていたユキノは、海を見たのも初めてだった。潮の匂いが鼻をさして、涼しい風が髪を撫でる。きっと気温はもう少し低いのだろうが、カレルのおかげでちっとも寒くない。さっきまで沈んでいた心が軽くなったようだった。 「自分で立ちたいっ」 「はいはい」 下は砂だったので、裸足で歩くととても気持ちがよかった。沈んで行く太陽は、その度に少し違った色を見せる。光の反射した海が綺麗で、ユキノはそれが沈んでしまうまでずっと眺めていた。 「ありがとう」 「あ?」 「連れてきてくれて」 きっとカレルは、礼を言われることに慣れていないのだろう。ユキノの事を変なものを見るような目で見たカレルを見て、ユキノは思わず笑ってしまった。 「あ? 何笑ってんだよ」 「何でもないよ」 こんな風に笑ったのはいつ以来だろうか。考えていると、また抱き上げられた。今度は驚くこともなく、大人しく彼の腕の中に収まる。 「カレルだったら良かったのに」 悪魔だろうが何だろうが、あの青年よりも。ユキノが漏らした言葉を、彼は聞き逃さなかった。 「あぁ、結婚? お前の村は昔っから、随分そういう事に熱心だな」 悪魔であるカレルには、きっとわからない事なのだろう。種を残さなければならないという考え方も。 「ねぇ、私を攫ってくれない?」 ユキノの提案に、カレルは少し驚いた顔をした。しかし一度ユキノの顔を見てから再び飛び立つ。ユキノの問いに、答えてくれる気はないのだろうと諦めて下を向いた。しばらく空を飛んでいると、カレルの声が降って来た。いつものように意地悪で、冷たい声なのに不思議といつまでも聞いていたくなるようなあの声。 「あんたさ、面白いよね」 冷たい声なのに、冷たい響きがない。ユキノは言われていることがわからず、カレルを見上げた。 「天使は無償で何かしてくれるんだけど、力が弱い」 「え?」 「俺も見た事はそんな無いけど」 「天使…」 「そ。でも、悪魔は違う」 カレルの話す姿は、どこかとても楽しそうだ。悪戯をする前の子供のよう。大人に見えるカレルを子供のようだと言ったら、本人は怒るだろうけれど。 「悪魔にお願いするには何か差し出さないとね」 「差し出す…」 カレルはにやとユキノを見た。左右色の違う瞳が夜の光を反射して輝いて見える。 「人間の持ってるもので、俺等に差し出せるものって一つだけなんだけど。あんたは女だからもう一つあんだよね」 「何?」 「一つは魂」 「もう一つは?」 カレルはまた前を見て、黙ってしまった。ユキノはカレルの会話の不思議なテンポにため息をついたが、嫌なわけではない。今日、気づいた事があるからだ。彼は遅くなっても、ちゃんと答えをくれる。 ユキノの家に着くと、カレルはすぐに部屋から出ようと窓の桟《さん》に飛び乗った。そして部屋の方を向いてユキノに言う。 「もう一つ。考えてみた?」 「え? …ううん」 自分で考えていなかったわけではなかった。自分が持っているもので、悪魔であるカレルが喜ぶもの。それは魂と同じくらい価値があるものなのだろうか。女しか持たないもので? 考えてもわからなかったから、ユキノは首を横に振った。カレルはくすくす笑いながら、一瞬ユキノの耳元まで来て囁いたと思えば、次の瞬間には飛び立っていた。 -†-†-†- カレルの消えた部屋は暗くて、静かだった。ユキノは言われた言葉の意味を、ゆっくりと咀嚼する。結婚を控えているとは言え、そのような事にはまだユキノは幼すぎる。ドレッサーの鏡を見ると、いつもは青白い自分の頬が真っ赤だった。――今夜は、眠れそうになかった。 -BEASTBEAT 悪魔の天使-