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 きっと私がいなくても

 世界はなんら変わることなく

 その一秒を刻んでいくの



 でも、私がいることで

 何か変わる

 そう信じてみてもいいかな


 たった一人

 大勢の中のたった一人の自分にも



 大勢を作る手助けくらい

 できると思うから




 Episode 010. Nought lay down, nought take up - 対価 -






 そこはとても温かい場所だった。心地良い眠りのなか、うっすらと目を開ける。ユキノは、そこがどこなのかわからなかった。人が住んでいる気配の無い、小汚い木の家。暖炉には火が入っていないというのに、この部屋はちっとも寒くない。ぼやぼやと映し出されたその景色に、ユキノは全く覚えがなかった。冴えない頭で考えながら、そう言えば、悪魔に助けを求めて連れてきて貰ったはずだったと思い出した。

「……カレル…?」

 しかし、ユキノを連れ去った悪魔は、この部屋の中には居ないようだった。置いていかれてしまったのかと、起き上がろうとして驚いた。自分の身体なのに、最近では無い程に身体が軽いのだ。咳も出ないし、どうやら熱も無いらしい。記憶にある最後の夜は、息も出来ない程苦しかった。このまま、彼に抱かれながら自分は死ぬのだと思っていた。けれど、どうやらここは黄泉の国とは違うらしい。窓の外は、ユキノも森に出かけた時によく目にする植物が見える。あまり村から遠くはない場所なのだろうか。ユキノは誰もいない空間に寂しさを覚えたが、それがいつもの事だと思い直し、不安を紛らわせる為に、歌を歌うことにした。小さく口ずさむその歌は、聞いた事はないはずなのに、自然と口をついて流れ出た。



       -†-†-†-



 甘い女の匂いに魅せられた幾千幾万もの小鬼たち。ここまで多くの妖《あやかし》を引き寄せてしまう程、ユキノの匂いは強かったらしい。カレルは山小屋に群がる小鬼を、高い木に登って見渡し、口笛を吹いた。

「俺の妖気に気づかない程ってこと?」

 狂ったように山小屋の中へと入ろうともがく彼らを見て、カレルは少しむっとした。自分の妖気をここまで完全に無視されるとは。カレルは木から飛び降りると、手始めに近くにいた小鬼をひと掴み握り潰した。異変に気がついたのはごくわずかで、相変わらず情欲に狂った彼らは自分たちに襲い来る危機に気づかない。

「めんどう臭いんだけど」

 キアラの魂を食らったことで身に付いた力は、こういう時にはとても便利だ。カレルは光の玉を作ると、それを上から落とした。轟音と共に、眩しい光が溢れ出し、爆風にカレルの羽が揺れた。山小屋は、彼の結界で守られている。

「……あー…。まぁいいか」

 小鬼の体液はエネルギーに蒸発したが、山小屋を囲む彼らの死骸は壮絶だった。木々はエネルギーの中心から外に向かって倒れ、近くにあったものは消滅してしまっている。

「…さって、と」

 カレルは小さな声を耳にして、結界の中に幻をかけた。窓から見える風景が、この惨憺たるものではなく、彼女の知っている森であるように。

 山小屋の結界に入ると、ユキノが歌う声が聞こえてきた。そのメロディーを聞いて、カレルは驚く。

「ユキノ」

 彼が部屋に入ると、ユキノは窓の外を見るのを止め、彼の方に振り向いた。顔色はかなりいい。

「…カレル!」

 嬉しそうにベッドを降りると、ユキノはカレルの所まで走ってきて、彼に飛びついた。きゅうとしがみつくユキノの頭を撫でながら、顎を持ち上げてキスをする。

「………」

 唇を離すと、ユキノが何か言いたげに彼を見上げていた。カレルは首をかしげ、何、と顎をしゃくる。

「えっと…なんだか…や、やっぱり何でもない」
「へぇ。そう」

 カレルはユキノから放たれる甘い残り香に抗う気はなかった。彼女を抱き上げて、またベッドに押さえつける。

「…カレル?」

 カレルはユキノの着ていたものをさっと脱がせると、その白い肌に吸い付いた。瑞々しい彼女の身体に、赤い痕が残る。すぐに彼女の匂いは強くなった。

「や…待って」
「何」

 カレルが聞くと、ユキノは言いにくそうに目を泳がせた。

「言えば」

 苛立を隠さずに言うと、ユキノはびくと怯えたようにカレルを見て、そして口を開く。

「あの…ね。あの時は夢中で…だから…あの、どうして私…」
「生きてるかって?」

 要領を得ないユキノの話しを、カレルが引き継いだ。ユキノはきっと、自分の初体験を思い出してしまっているのだろう。今この状況に置いても、顔を真っ赤にして恥ずかしがっている。こくりと頷いたユキノに、カレルはふっと笑った。そしてまた、彼女の身体を味わい始める。前回と違って、ユキノはカレルの愛撫から少し逃げ腰だった。膝を持って左右に開くと、ユキノは小さく悲鳴をあげた。急いで口を手で押えるユキノに、カレルはにやりと笑いかける。

「嫌がってもいいんだけどね」

 くすくすと、笑うカレルの唇が、ユキノの太ももにあたる。びくりと震える身体は、彼に感じている証拠だ。抑えた脚の中心に、カレルは顔を埋めた。意思と関わり無く溢れるユキノの愛液を舌で救って顔をあげ、羞恥に涙目になっているユキノに見せつけるように味わう。

「止める気、ないし」

 むせ返る女の匂い。カレルはまたユキノにキスをしながら、くすりと笑った。きっと、明日の朝一番にしなければならないのは、小鬼達の掃除だろう。今日よりも少なくなっているだろうか。あの死骸を踏み越えて、また群がる彼らを想像すると、滑稽《こっけい》で仕方が無い。

「あ…っ嫌…まだ…」
「はいはい」

 ユキノの秘孔は狭く、痛い程締め付けてくる。ユキノは少し抵抗したが、自分が誰のものか、彼女もわかっているのだろう。すぐにおとなしく、どうやったら苦しくないかを探すようになった。

「悪魔の血にはさ」

 息が上がり、揺らす度に可愛らしい声を漏らす。額にはうっすらと汗をかき、彼女のブロンドの髪を濡らしていた。

「エネルギーが入ってるんだよね」

 魔力とでも言うのだろうか。大抵の人間には毒にしかならないが、極たまに、その力に適応する者が現れる。

「でもなにも、血でなくたっていいんだ」

 聞いているのか、聞いていないのか、ユキノはうっすらと開けた目に涙を溜め、潤んだ瞳で彼を見上げていた。

「悪魔の精液にも、そのエネルギーは入ってるって言ったら、ユキノに何をしてあげたか、わかるでしょ」

 エネルギーを命に変える力を、ユキノは胎児の時に示した。血を飲む事が一番強くその作用を受けるが、体内に射精すれば少しはユキノの身体に吸収される。一度抱いて、そのまま魂を食らうのもいいが、折角身体を差し出してきたのなら、満足するまでは離さない方がいい。小さいが、温かいユキノの身体。カレルは快感の渦の中、彼女の匂いに理性を飛ばしてしまわないようにわざと激しく腰を揺らした。小鬼が狂ってしまうのも頷《うなず》けると、くすりと笑った。



       -†-†-†-



 さくさくと、小さい足音が響く。その森には、もうずいぶん人間は訪れていなかった。女の子と一緒に歩く巨大な妖気に森の住民は逃げ出していた。木々のさわさわという音が、暗いこの森を余計不気味なものに見せる。

「ねぇ、カレル?」
「んー」
「どこに行くの?」

 この辺は、確か近づいてはいけないと祖母に言われていた場所のはずだ。興味はあったが、入った事は無かった。村のひとが行方不明になる時は、この森に迷い込んでしまったのだと噂になっていたからだ。

「悪魔の里」
「……カレルのお家?」
「あーそんなもん」

 不安な気持ちは消えないが、逃げ出したいわけではない。ユキノは先を歩くカレルのシャツの端を少し掴んだ。カレルは怒るかと思ったが、ちらと見ただけで何も言わず歩いて行く。

「おら」

 手を差し出されて、ユキノは驚いて固まってしまった。それを焦れったいとでも言うように、カレルが自らユキノの手を握る。

「絶対離すなよ。まぁ、迷いたいなら別にいいけど」

 前を見ると、不思議な大きな木があった。二股に別れた根が大きなアーチを作り、何かの入り口のようになっている。戸惑う暇なく、カレルに手を引かれてその木の根のアーチをくぐった。

「うわ…!?」

 中に入ると、めまいのように目の前がぐにゃと曲がった。カレルは何とも無さそうに歩いているが、ユキノは曲がって見える景色に酔ってしまいそうだ。後ろを見ると、もう今くぐったばかりのあの木は無くなっていた。

「空間の歪みに落ちたら、もう帰ってこれねぇから」

 そう言ったカレルは楽しそうに笑っているが、ユキノはぞっとしないジョークだと思った。歪んでいるのだというこの空間にいたら、頭の中がおかしくなってしまう。まさか、悪魔の里というのもこういった空間にあるのだろうか。ユキノは不安を覚えたが、その答えはすぐにやってきた。

「え…?」

 想像していたものよりも、遥かに明るい世界だった。カレルは驚いているユキノをにやりと見る。

「もっと、禍々しいとこの方が期待通りだった?」

 期待していたわけではないが、想像していたのはもっとどろどろしたものが蔓延《はびこ》っているような暗い世界だったのは確かだ。目の前に広がるのは、白い石の四角い建物が沢山並ぶ、とても綺麗な場所だった。

「こっち」

 手を離されている事に気づいたユキノは、カレルが歩いている方に遅れないように小走りした。白い石の建築物には一様に窓があり、中を覗き見る事ができる。

「なんだか…」
「んー?」

 カレルは振り向いたが、ユキノは首を振った。白い建物の中は、外壁同様に白かった。時々ベッドがあったが、ほとんどは何もなかった。他の悪魔の姿も見えない。大分歩いているというのに、生き物の気配すらなかった。白い町並みは綺麗だったが、だんだんと寂しいと感じるようになった。こんな所で、彼は生活していたのだろうか。

 寂しいと感じ始めると、なぜかユキノは自分の家の事を思い出した。良い思い出など無いに等しいあの家でも、離れてみると何故か切ない気持ちになった。

「あの、カレル?」
「何」
「……おばあちゃんと伯母さんは…どうしてるんだろう」

 カレルはユキノの言葉に、立ち止まって彼女を見た。そしてまた悪戯っ子みたいに笑う。

「気になんの?」
「え。…うん」
「ふぅん」

 にやにやと近づいて来るカレルから、ユキノはなんとなく後ずさってしまう。そんな彼女の反応を見て、彼は更にご機嫌になる。くすくすと笑いながら、ユキノの耳元で囁く。

「もう、あんたには関係ないじゃん」
「え?」

 にやりと笑うと、カレルはまた歩き出してしまった。ユキノは急いで後を追うが、彼の言葉が耳について離れなかった。自分は、本当には理解してなかったのかもしれないと思った。未練などないと、息巻いて出て来たあの家に、帰らないんじゃない。もう、帰れないのだ。



       -†-†-†-



 手にしたかったもの。温かい空気。温かい人たち。温かい笑顔に、温かい言葉。望む事で、得られるのならそれもいいけれど、人生はなかなかままならない。何かを求めると、それが叶わなかった時に絶望を知る。望まない事など、できはしないのに。

 それは後から知るのだろう。何かを選ぶ時、自分にとって最善の事をしたはずなのに、いつの間にかそれを選んだ瞬間に、何かを差し出してしまっているという事を。






   -BEASTBEAT 悪魔の天使-