13
あなたの心も
私の心も
きっと
同じ色をしているの
だって、心は見えないけれど
悪魔だとか
ひとだとか
まして、天使であっても
きっと悲しいし
きっと寂しいし
きっと、嬉しいんだもの
Episode 013. Song For Angel - 他が為のうた -
―――この地に、とても弱気な悪魔がやってきました。綺麗な瞳を持つその悪魔は、私に懐いて、楽しそうに笑うのです。けれど、彼は村の人たちからは歓迎されるはずもありませんでした。彼の心は、あんなにも純粋なのに。―――
カレルは、古くなった日記にびっしりと書かれた文字を目で追った。この部屋は、彼女が死んでから、その時間を止めてしまった。
―――彼を愛しています。けれど、きっと彼は、認めてはくれないでしょうね。…私の気持ちも、私を想う、彼自身の気持ちも。―――
蒼い瞳は、彼女から貰った。そして金の瞳は、彼女が愛した、あの男から。彼女が死んで、何百年も経っているけれど、まだあの男は彼女の墓を守っているのだろうか。
-†-†-†-
ユキノの生まれる、ずっと昔。その村はまだ、小さな小さな集落でしかなく、毎日を村人全員で協力しながら暮らしていた。
「今日のお話は、これでおしまい」
昼の陽日は温かく、この小さな村に優しく降り注ぐ。集めた子供たちに物語を聞かせるのが、シルヴィアの楽しみだった。子供達は物語を聞き終えると、お礼の代わりにうたを歌ってくれる。木の切り株に座ったシルヴィアを半円型に囲んで元気に歌う子供たちの声につられ、森の精霊たちも踊りだすのだ。その光景を見るのが、何より楽しかった。
「シルヴィ、もっとお話して!」
「天使のお話がいいっ」
「はいはい、それはまた次ね。ほら、みんなで遊んでいらっしゃい」
優しく細まる瞳は、晴れ渡る空を連想させる蒼だった。ブロンドの髪は、横に纏められ、ゆるく編まれている。子供たちが駆けていくのを見送り、シルヴィアは立ち上がった。精霊達は各々、花とじゃれていたり、ゆらゆらと風と遊んでいたりする。綺麗な森の空気を胸いっぱいに吸い込んで、伸びを一つし、家の方向を見た。すると、背の高い青年が一人、立ってこちらを見ていることに気がついた。
「…あの?」
「……」
この辺りでは、彼のような青年を見た事がなかった。光に透ける髪は、見た事もない灰がかった蒼だった。白いシャツから覗く腕も、透けているのではないかと思う程白い。少し癖のある、目にかかりそうな程に伸びた前髪を、青年が払う。その姿があまりに美しかったので、シルヴィアは最初の一言を言ってから、口を閉ざしてしまった。何も言わぬ青年との、不思議な時間が流れる。と、青年はふいっと後ろを向いて、どこかに消えてしまった。シルヴィアも帰る方角なのだが、彼のいた場所からどこを見ても、彼の姿は見当たらない。
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次の日も、子供達を帰すとその青年が立っていた。何も言葉を発しないが、その表情は穏やかで、微笑んでさえ見えた。けれどシルヴィアにはその微笑の中に、少しの不安が混ざっているような気がした。毎日お話をするわけではないが、彼はシルヴィアが話をするときはいつも来ているようだった。何も話をしないまま一月が過ぎた頃、シルヴィアは子供達を帰した後、青年の姿を探してしまうようになっていた。穏やかに立つその美しい青年を見ると、シルヴィアは不思議と胸が温かくなった。けれどある日、青年の姿が見えない時があった。
「…あ、名前も知らないんだったわ」
名前もわからないのでは、呼んで探すこともできない。シルヴィアは次彼が来たら、今度は名前を聞いてみようと思った。けれどその次も、その次も、結局は一年が過ぎても、彼の姿はそれきり見ることはなかった。
-†-†-†-
シルヴィアは、青年の事を旅人なのだと考えていた。もう、彼は違う村に行ってしまったのだろうと、シルヴィアが諦めていたある日、村の近くにある大きな森に薬草取りに出かけると、何かの黒い羽が多く散らかっている場所があった。鳥が争って抜け落ちたものにしては、あまりに多い。シルヴィアは気になって、その羽が作る道のようなものの先を覗き込んだ。
「…!」
草木に埋もれていてよく見えなかったので、それをかき分けた。すると、大きな羽を広げたまま、横向きにそれは倒れていたのだ。
「……悪魔…」
シルヴィアの村には、昔から悪魔がふらっと現れることがあったらしい。けれどシルヴィアが生まれる少し前、悪魔狩りというものが世界で巻き起こった。ブームはすぐに去ったというが、その頃から、村に悪魔が来ることは稀になったと聞いていた。
倒れている悪魔は手負いなのか、彼の動いた後と思われる土には黒い血が着いていた。羽は酷く折れ曲がって、これではきっと飛べないだろう。シルヴィアは倒れている悪魔をしげしげと眺めた。くるりと回って、顔を見てまた驚いた。その顔は一年前、村でよく見たあの青年の顔と同じだったのだ。ただし耳がとがり、苦しそうに息をする口からは鋭い牙が見える。
「…やだ、このままじゃ駄目よ」
シルヴィアは近くの小川で水を汲んで来ると、傷口を丁寧に洗い、今しがた摘んだばかりの薬草をすりあわせてそこに当て、布を巻いた。悪魔に効果があるかはわからないが、彼女自身の気休めにはなる。一人で運ぶのは無理そうだったので、移動するのは諦めた。吹き出ている汗を拭い、彼の無事を願った。
-†-†-†-
しばらくすると、青年の呼吸は落ち着いてきた。さすが悪魔の回復力とでも言うのか、傷口も徐々に縮まっていた。
「……んん…」
青年が少しうめき、そして瞳を開けた。シルヴィアは彼の瞳を見て息をつめる。茶色なのだと思っていた瞳は、輝く様な金色だった。
「………あれ…」
「気がつきましたか? 良かった…死んでしまうのかと思いました」
「………今のうたは…」
「お祈りのうたです」
「…。…!」
「あ、急に起きては駄目ですよ」
青年は起き上がると同時に、背に生えていた見事な羽を消した。そしてみるみるうちに耳が小さく、瞳は濃く、人間のそれと変わらないようになった。全てが完璧な人間の姿になった青年は、何か不安そうにシルヴィアを見た。あまりの必至な様子を見て、シルヴィアはくすくすと笑ってしまった。
「……」
「ごめんなさい…笑ったりして。ふふ。でも、そんな風に隠しても、もう知ってしまったから仕方がないと思いますよ?」
「…怖くないの」
そういえば、悪魔と言えば昔から悪戯をしてはひとを困らせるもの達だと聞いていた。恐ろしく強い魔力を持ち、村を丸ごと焼き払ってしまったものも居たという。けれどシルヴィアはまたくすくすと笑った。
「あなたは怖くないです。くすくす、あ、気を悪くしたらごめんなさい」
微笑むシルヴィアを見て、青年はにこりと笑った。そして、シルヴィアの頬に手を伸ばす。吸い込まれてしまうのではと思う程、彼の空気ががらりと変わった。相変わらず怖くはないが、どうしようもなくどきどきする。
「ありがとう、シルヴィア」
彼は耳元でそう囁くと、すぐに座り直して俯いてしまった。
「え、私の名前…?」
「…知ってるよ。シルヴィアでしょ? 君は覚えていないかもしれないけど…僕、一年前くらいによくこの村で君を見ていたんだ」
「……やっぱり。知っています。どうしてそんなことを?」
青年は顔を上げて、また俯いた。
「私、ずっとあなたとお話したいと思っていました。あの、まずは名前を教えて下さいませんか?」
シルヴィアが言うと、青年は顔を少しあげて、信じられないというように彼女を見た。
「……オルソ」
「オルソ? まだ傷があるかもしれません。もし良かったら、うちで休んでいきませんか?」
「……シルヴィア…それは、止めた方がいいよ」
シルヴィアの誘いを、オルソは苦笑しながら断った。そしてシルヴィアの制止も聞かずに立ち上がると、ばさりと音を立てて黒い羽を出す。倒れていた時には折れてしまっていた羽も、もうすっかり元の形を取り戻していた。
「シルヴィア、ありがとう」
シルヴィアは、悪魔が飛び立った空をいつまでも眺めていた。耳元に響く、甘い声。控えめな笑い方から、彼の性格は伺い知れた。飛び立つ前の彼の表情は、何か大きな影を背負っているように見えた。
-†-†-†-
シルヴィアは今日も、子供達を集めてお話を聞かせていた。それが終わると、子供達はお礼のうたを歌ってくれる。精霊たちは踊りだし、木霊は浮かれて飛び回る。子供達を帰してからもその美しい風景を見ていたシルヴィアは、一部の精霊達が何かに怯えて帰って行くことに気がついた。木の陰になって、そこに何があるのかはわからなかったが、精霊達が近寄ろうとしないその場所からは、何か強い気のようなものを感じる。シルヴィアがその場所を覗き込むと、そこにはオルソが横たわっていた。
「……っ!」
先日よりもずっと深い傷を負っているようだった。治癒が間に合わないのか、倒れている今もどくどくと流れ出す血が見える。
「大変っ」
先日と違い、ここは村の中だ。シルヴィアは走った。見つけた人に、怪我人がいるので自分の家に運ぶのを手伝って欲しいと頼むと、シルヴィアの必至の形相からも非常事態がわかったのか、すぐに数人が協力してくれることになった。しかし、村人をオルソの倒れている場所まで案内すると、村人は顔色を変えてしまった。
『シルヴィア、こいつは悪魔だっ』
『早く逃げよう!』
『いや、今は弱っているから、何かしでかす前に殺してしまおうっ』
村人は、オルソの姿を見ると、たちまち興奮して、足で彼の身体を転がしてみたり、傷口に砂をかけたりした。
「何をするんですかっ止めてっ」
シルヴィアは自分の耳と目を疑った。そこに大怪我をして倒れているのに。こんなに血が溢れているのに。あんなにも―――。
結局、殺してしまう勇気もなかったのか、シルヴィアの必至の制止が聞いたのか、村人達はシルヴィアにも逃げるようにと言って、彼らは帰ってしまった。
「………シルヴィア…」
「オルソ、大丈夫ですか?」
「……シルヴィア…」
傷口が熱を持ち、吹き出す汗は彼の髪を濡らしていた。浅く呼吸を繰り返す口は、うなされるようにシルヴィアの名前を何度も呼ぶ。シルヴィアはとても悲しくなった。自分はなんて、愚かな事をしてしまったのだろうか。村人を呼びに行ったりして。その反応を予想できなかった自分に、とても腹が立った。
「シルヴィア…」
「…ごめんなさい…」
何もできなくて。汚れてしまった傷口を洗いながら、シルヴィアは謝った。
「……シルヴィア…」
彼が何をしたと言うんだろう。村人が困ることなど、何もしていないのに。
「……泣かないで、シルヴィア…」
いつのまにか、オルソは目を覚ましていた。それもそうかと思い直す。あんな風に扱われては、寝ていることもままならない。
「……ごめんなさい…」
「……いいんだ」
オルソはゆっくりと起き上がると、シルヴィアをそっと抱きしめた。優しく頭を撫でる手は、少しひんやりしている。シルヴィアは、彼の手があまりにも優しかったので、余計に涙が止まらなかった。
-†-†-†-
『シルヴィアとはもう、話をしてはいけないよ』
『どうして? お話して貰いたいな』
『だめよ。もう、目も合わせてはだめ。わかったわね』
『…はぁい』
シルヴィアは今日も、村の外れの切り株に座ってお話をしていた。けれど話し終わっても、子供達のうたが森に響くことも、精霊達が躍る事も、木霊達がはしゃぐこともない。お話を聞くのは、たったひとりの悪魔だけだった。
シルヴィアはあの日から、村で外れ者として扱われるようになった。物を買う事も、水を汲む事も、はっきりとは言わないが、嫌がられていることは感じていた。沢山集まっていた仲良しの子供達も、シルヴィアを見ても挨拶もしない、目も合わせない。きっと親に止められているのだろうとシルヴィアも声をかけることもなくなった。見かねたオルソが、シルヴィアにこっそり会いに来るようになった。一緒に居る所を見られないようにと、彼はとても気を遣う。シルヴィアは、オルソは何も悪い事をしないのだから堂々としていてもいいと言うのだが、彼はそれではシルヴィアがまた嫌な思いをするからと、頑として態度を変えなかった。
そうして二年が過ぎた頃、シルヴィアは高熱を出して倒れてしまった。原因は、長く続いたストレスだろう。オルソは困って、人間の姿で薬を買いに行った。しかし、いくらこそこそ会っていたとしても、狭い村である。よくシルヴィアといる青年が、大怪我をしていた悪魔と瓜二つであるということは、既に村中に知れ渡ってしまっていた。噂は一人歩きをし、今では、シルヴィアが村人に復讐する為に悪魔を召還したのだというものまであった。
『ひぃっああああ、悪魔、あんたなんかにやる薬はないよっ』
「違うんです。僕ではなく、シルヴィアが熱で…」
『ううう煩いっ! あの娘にも、薬なんかやれないよっ』
村中の薬屋を回っても、どこも同じように門前払いだった。薬を分けてほしいと、家々に頼んでも、オルソを見たとたん怯えて命乞いをしたり、ドアを閉めてしまったり、物を投げつけたり。オルソはあまりの対応に絶望した。彼は、毎日この村にいるわけではなかった。彼女としか話をしなかった。いつも明るく、優しく笑う彼女は、このような酷い扱いを受けて生活していたのだろうか。
「……シルヴィア…」
シルヴィアの熱は、上がるばかりだった。人間は、体温が上がりすぎると死んでしまうのではなかったか、オルソは考えて、シルヴィアの熱い身体を抱きしめた。
「……オルソ…」
「……シルヴィア…」
オルソは気が弱く、よく悪魔の里でも他の悪魔の遊び道具として扱われていた。そんな「遊び」で怪我をすると、オルソは決まって人里に傷を癒しに来ていたのだ。あの日も、オルソは深手を負って、朦朧とする意識の中、ふらふらとシルヴィアのいる村へと来てしまった。そしてシルヴィアの声を聞いて、安心を得るのだ。傷の痛みに、意識はあった。子供達が去ると、シルヴィアは自分を見つけた。そして彼女は村人を連れて来た。意識は止めようとするのだが、口さえ自由に動かなかった。村人達の扱いは、悪魔を見たときの普通の人の反応だった。慣れたもの、と身を任せていると、シルヴィアが村人を止める声が聞こえた。
「シルヴィア…ごめんね」
「……どうして…謝るの…?」
自分の為に涙を流す彼女を見て、オルソは今まで感じたことの無い感情を得た。けれど、その名前を知らなかった。
「……オルソ、どうして泣いているの…?」
魂が見えていた。もう、ずっと前から。シルヴィアの心臓の上に、キラキラとそれは輝いて、オルソの胸を締め付ける。
「……僕は…」
―――とても弱くて、どうしようもなく駄目な悪魔なんだ。
言葉にならない言葉を、シルヴィアはわかってくれているのだろうか。弱々しく頭を撫でるその手は、彼がいつか彼女にしたものと同じく、悲しくなる程優しい。
「…離したくないんだ。君に嫌われたとしても」
―――もう、嫌われているのかもしれないけれど。
彼女をこんな状況に置いて、まだ嫌われていないと考えるのも滑稽だろうかと、オルソは苦笑した。
「……?」
シルヴィアの身体を離し、オルソは自分の手を切った。そして滴る黒い血を、彼女の口へと運ぶ。指ごと銜《くわ》えさせると、シルヴィアの身体はびくりと震えた。
オルソは歌った。いつかシルヴィアが歌っていた、あのうたを。
-BEASTBEAT 悪魔の天使-