夢の中でなら あなたに会えるのかな 顔も知らない 声もわからない それでも きっと 私はわかるよ けれど あなたはいつだって 夢の中ですら会えなくて ―――寂しい ―――侘《わび》しい ―――悲しい 言える人すらいない世界 夢でもいいの お願いだから 独りにしないで Episode 007. wedding night with U - 初夜 - その日は朝から家の中が慌ただしく、祖母も伯母も大慌てで晴れの日の準備をしていた。ユキノ自身も、綺麗なドレスを着せられ、華やかなアクセサリを付けられていた。 「綺麗よ。具合は大丈夫?」 伯母の声は優しいけれど、どこか脅迫しているように聞こえるのは、ユキノの思い違いだろうか。ユキノは気の乗らないまま、こくりと首を縦に振った。本当を言うと、最近で今日が一番調子が良くない。というか、ずっと悪くなる一方だった。けれど熱があっても咳き込んでも、今日は倒れられないという圧力を感じていた。 「さぁ、できたわよ。鏡見てごらんなさい」 そう言われて全身鏡の前に出たユキノは、自分の姿に驚いた。いつも青白い頬には紅がさされ、唇には真っ赤な色を乗せられ、全身完璧に着飾られた目の前のひとの瞳には、生気が無かった。これのどこが綺麗だと言うのだろう。ただ伯母や祖母のお人形として作られたようでならなかった。今日の結婚式は、式というには質素なものだ。相性が合わなければ、何度も結婚を繰り返すこの村では、親族が共に会食をするだけで二人の結婚式とする事が多かった。ドレスを着るのも、ユキノの家が村長《むらおさ》の血であればこそだった。 準備が整い、いよいよ式が始まろうとしていた。浮かない気持ちのまま、会場への扉をくぐる。もう既に、そこにはラフの母や兄妹、そしてラフ本人が座っていた。彼はユキノが入るのを見ると、立ち上がり、エスコートをしに来てくれる。差し出されたラフの手に手を乗せ、ゆっくりと会場を回って席に着いた。 この村では、永遠を誓うような儀式はない。ただこの式で、二人が夫婦となる事を確認するだけだ。この夜からは、ラフは自由にこの家に出入りする事ができる。二人の為に、昔母達が使っていたのだという寝室も綺麗に掃除され、用意されていた。 「ユキノさん、今日はいつもに増して綺麗です。僕は幸せ者ですね」 軽く触れていた手をぎゅっとにぎられ、ユキノは思わず振り払いそうになった。カレルに触られる事は平気だったのに、ラフに触れられると何とも言えない悪寒が走る。ユキノは気を許すことも出来ないまま、会食はお開きになった。 -†-†-†- この日の為に整えられたシーツは白く、汚して下さいと言わんばかりだ。新婚の二人を残して、祖母や伯母はラフの親族と共にラフの実家の方で祝賀を開くらしい。伝統の事とはいえ、完璧に整えられた初夜に、ユキノはため息をつきたくなった。入り口で立ち止まったままのユキノを、ラフは後ろから抱きしめる。もう既に、立っているだけで精一杯のユキノに、振り払うような体力はない。 「やっと…この日が来ましたね」 「あ…の…?」 背の高いラフはユキノを抱きしめたまま、頬や耳にキスをする。触れる唇が、どうしようもなく気持ち悪い。 「ちょ…あの、待って下さい」 「どうして? 僕たちは夫婦になったんだよ」 ラフはくすりと笑うと、一度ユキノから離れて眼鏡を置いた。そして固まってしまっているユキノの元に戻ると、ひょいと抱き上げてしまった。ユキノは咄嗟に捕まるが、本当は暴れたくて仕方が無かった。ベッドに降ろされると、ラフはすぐにキスをしようと顔を近づけた。ユキノが顔を背けて嫌がると、それも可愛いとでも言うように上機嫌で顔を押さえつける。 「―――ん…っぁ…やぁ…っ」 どうして、こんなに気持ちが悪いのか、ユキノは自分でもわからずにいた。男の人に触られる事が嫌だというのなら、カレルに触られた時にも同じように感じるはずだ。入ってくる舌も、鼻を突く匂いも、触れる肌の感触も。ユキノの感覚全てが拒否を示していた。 「…! や…っ待って!」 ラフの手が、胸に、そして脚にと下がっていく。 「あんまり嫌がらないで下さい。…優しくしているうちに」 「ん…待って…っ」 声は辛うじて出せていても、身体はなされるがままだった。熱は上がって朦朧としているし、身体は今日の強行がたたってだるく、力を入れようにも伝わらない。ラフが抑えるまでもない。ユキノは彼の思うままだ。 「やだ…っ!」 「大人しくしなさい」 暴れる力等無いのはわかっているだろうに、ラフの手は容赦なくユキノをベッドに押し付ける。そうして胸の辺りを舐めていたラフは、はっとしたように動きを止めた。ユキノは不思議に思ったが、昨日の事を思い出して顔を凍らせる。 「ユキノさん…これは?」 何も言えず顔を反らすユキノだったが、ラフが怒っていることは見なくてもわかった。 「……悪いこだ…誰の痕かな」 全身白いユキノの肌に、それは目立ちすぎた。ラフの指が、その場所をゆっくりとなぞる。赤く咲いた花のように、コンシーラーで隠してもなお、隠しきれない。ラフはユキノのあごを掴んで、思い切り口づけをした。ユキノが反射的に顔を背けて抵抗すると、更に力強く押さえつけられた。 「―――嫌…っ!」 パシン、と、渇いた音が響いた。家の中には、今はユキノとラフしかいない。ユキノの言葉にならない抗議が、涙となってシーツに落ちる。振り上げられた手は、ユキノの頬を強かに打った。 「…村長の血と思えば、こんな子供にだって欲情して見せますよ。あなたは、僕に身を任せればいい。そんな痕を残して…もしかして、もう処女でもないのでは? あぁ、寝てたって構いませんよ。朝には、妊娠してるように頑張りますので」 冷たい視線は、祖母や伯母と同じだった。ユキノを気遣うふりをして、嫌悪している。落ちて来る涙は、ユキノの声が変わったもの。肌を伝う舌の感触に、もう抵抗する気がなくなってしまった。抵抗した所で、救ってくれる人はこの家にはいないのだから。 何もかも、諦めたような虚ろな目をしたユキノに、甲斐甲斐しく愛撫するラフ。これからされる事を思うと、恐怖が胸をつく。ぐるぐるとした思考の中、ぐったりと身体を横たえたまま、ぼんやりと眺めていた部屋の景色に、人影を見た。揺れる視界ではあったが、確かに誰かが立っている。腕を組み、いつもの不遜な態度でこちらを見ている。 「……カレル…」 ラフは行為に夢中で、きっとカレルの存在に気がついていないのだろう。ラフには聞こえなかった声も、カレルには届いているはず。 「カレル…お願い…」 魂の契約の出来ないユキノに、残されているものは一つだけ。カレルは口もとだけで、本気? と聞いた。音になっていないその問いに、ユキノはこくりと頷《うなず》く。 「お願い…助けて。私の身体は、カレル、あなたにあげるから」 カレルはユキノを興味の無さそうな目で見ていた。契約する気はないのかと、ユキノがまた諦めかけたその時、カレルが手を大きく降った。そして、部屋の中に突風が吹き荒れ、ユキノは風に乗ってカレルの腕の中に収まった。服をほとんど脱がされてしまっていたユキノに、カレルは自分の着ていたシャツを巻いた。何が起こったのかわからないラフは、強い風が収まってから部屋の中を見渡し、ユキノを抱えているカレルに気がついた。驚きの声は悲鳴に近く、開いた口は何も言葉を発しない。 「……だ…誰だ!」 やっと出た言葉は一言で、カレルはふんと鼻をならした。 「俺? まぁいいじゃんそんな事。あー、あんたの花嫁は、悪いんだけど貰って行くね」 「ふ…ふざけるな!」 見た目で、悪魔だと分っただろう。恐怖の滲んだ震える声でラフは叫んだ。カレルはというと、すかした表情を崩さず、自分の首筋にしがみつくユキノをあやすようにぽんぽんと撫でていた。 「ユキノはあんたに抱かれるより、悪魔の俺の方がいいんだってさ」 ユキノはちらとラフを見た。鬼の形相とは、この事を言うのではないだろうか。ラフは怒りもあらわに、カレルを睨みつけていた。 ユキノの望んだ事が、いけない事だということはわかっていた。育ててくれた祖母も、伯母も、村のひとも、産んでくれた母さえも、ユキノは裏切ってしまう事になるのかもしれない。けれど、どうしても、ラフに抱かれることだけは嫌だった。きっと、身体はわかっていたのだ。ラフが、自分の血を村長の血に入れる事だけ、ユキノに自分の子供を産ませることだけの為に、優しくしてきたのだと。同じように利用されるなら、自分で相手を選びたい。 追いすがろうとするラフを、カレルの起こす風が阻んでいた。カレルは空間を引き裂いて、一度見た黒い紙を取り出す。指の先を噛みちぎり、自分の血を踊らせて紙の上に文字を書いていった。 「後から後悔しても戻れない。わかってんだよね?」 最後の確認とばかりに、ユキノに視線を合わせる。ユキノはカレルを見つめながら一度はっきりと頷いた。カレルはそれを見ると、ユキノの指を取り、少し牙で傷つけて血を流させると、そのまま紙にサインさせた。 「さ。心残りは?」 楽しい思い出も、懐かしむような持ち物も、この家にはない。ユキノは何もいらないと、カレルの首に再びしがみついた。 「はいはい」 紙を燃やしてから、カレルは翼を伸ばした。窓に飛び乗ると、後ろからラフが叫んでいるのが見えた。何を叫んでいるかはわからなかったが、きっとどうでもいい事だろう。カレルは悪魔で、ユキノは何よりも悪魔を選んだのだから。 -BEASTBEAT 悪魔の天使-