第七夜 遊女の恋




 壊れたオルゴール



 音のでなくなったそれを抱えて



 母はただ泣いていた







 記憶の中に残るのは



 切なくすすり泣く声





 なんのためにあるのかわからなくなった





 オルゴールと同じだった




◇◆◇第七夜 遊女の恋◇◆◇




 千秋に、友達と言える様な輩は彼の他にいなかった。人当たりもよく、誰にでも好かれるが、そういう存在を欲しいがっているわけでもなかった。

『お前ってどっか不気味なのかもな』

 千秋は随分な物言いだと思った。けれど、彼のそういうところを気に入っているのだ。

『そう?』

 いつものように返せば、彼はこういうのだった。

『何を考えているかわからねぇから』




◆◇◆◇◆




「お帰りの際、気をつけてくださいね」

 見世の前、帰る千秋と学を、二人の遊女が見送っている。一人はもちろん玲奈で、もう一人は偶然なことに櫻だった。

「伊勢様、昨夜は本当に素晴らしかったです。きっと寂しいから、どうかすぐに来て下さいね…」

 玲奈達とは少し離れたところで、櫻が学に言うのが聞こえる。ちらと見れば、少しうつむき、いかにも別れを惜しんでいるようだった。

「桔梗? どうしたの?」

 千秋が思案していた玲奈を覗きこむ。

「ぁ、いえ…。夜も冷えてきましたので…風邪など召されませんように…」

「うん。ありがとう」

 千秋は一心に見つめる玲奈の頭をぽんぽんと撫でて、「じゃぁ」と歩き出してしまう。別れを惜しむ学は、慌ててその後を追った。二人の姿が遠くに消えてから、櫻が玲奈に声をかけた。

「彼が噂の西城グループの御曹司様? 雰囲気のある方ね」

「…噂?」

「あら知らないの? 女遊びで有名よ?」

「え、でも…」

 新吉原の中で、馴染みである玲奈以外の遊女を揚げる事はできないはずだった。そんなことをすれば、すぐに玲奈の元に情報が来るはず。言えば、櫻は笑った。

「あははっあんた、新吉原の外に何があるのか知っているでしょう」

 新吉原の外。そこには、現代風のネオンが輝く大歓楽街がある。その街で千秋はとても有名らしい。どこにも宿り木を見つけず、ただ一晩だけの夢を魅せる。誘っているのか、誘わされているのか。千秋の物腰やその優美な姿に惹かれるのは、やはり玲奈だけではなかったようだ。

「今もそうなのかはわからないけど、あんた、好きになったりしたらダメよ」

 櫻は声だけ聞けば冗談めかしているけれど、その表情は真剣に見えた。

「客を好きになったって、バカ見るだけだし、ああいうお坊ちゃんにはきっと良い所の婚約者くらいいるんだから」

 上流階級の男性達の、ただの暇つぶし。ただの遊び。櫻の言葉は、当たり前の事だった。遊女が客に本気になって、自分の揚げ代を自分で払ってまでその男を登楼させるという話も聞いた事があるが、総じて、その恋が上手くいったという話は聞かない。

 男を甘く誘い、身代が傾く程に財を搾り取るのがここに生きる女の性。疑似恋愛のような甘やかな時を過ごしながら、恋愛とは天と地程に違う。

(――客を好きになっても、バカを見るだけ…)

 ではこの気持ちはどうすればいいのか。胸にわき上がるこの気持ちは、千秋の優しい態度に少し、夢を見ているだけなのだろうか。

(……好きになってはダメ……)

 玲奈にとって、千秋は”初めての男”で、それで特別に思っているだけなのかもしれない。千秋にとって玲奈は、たくさんの女の中の一人なのかもしれない。

(――傷ついては…ダメ…)

 勝手に、思っていただけ。もしかしたら自分は千秋にとって特別かもしれないと、勝手に期待しただけ。根拠のない理想を作り上げてしまっただけ。

(……それでも……)

 例え、たくさんの中の一人でも、千秋に逢いたい。言葉を信じてもらえなくてもいい。門の向こう側に恋人がいたっていい。それでも、逢いにきて、自分のことを抱いてほしいと思った。





 ―――抱かれている時の彼の瞳に映るのは、自分だけだと思えるから。




◆◇◆◇◆




 帰りのタクシーの中、千秋と学は談笑していた。

「や〜桔梗ちゃんも可愛かったなぁ。今度俺も揚げてみようかな〜。いい?」

「ははっ別に俺に聞かなくてもいいけど?」

「まぁ一応な」

 千秋が珍しく、一人の女の所に通っているから、桔梗は特別に可愛がっているのかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。もしくは、気づいていないのか。

(桔梗ちゃんの方は、千秋のこと好きそうだったけどね〜)

 まぁそれもいつもの事かと、学は少しため息をつく。

「お前昔からよく刺されてたよな〜。凝りねぇよな」

「そうだっけ」

 千秋は全くいつもの態度を崩さない。学としては、いつかこの冷静で沈着な態度をあたふたさせてやりたいところだが。昔から、多くの女と関係を持っていた千秋は、たまに切り傷を作っていた。聞けば、”勘違い”した女が刃物を振り回してきたらしい。別に何でもないというように、彼は淡々とそんなことを言っていた。

「殺されるかもとか思わないわけ?」

「ははっいつか死ぬかもね」

「…あ、そう…」

 温和なその態度の裏に、時々見せる刹那的な性格。なにかが欠け落ちているような奇妙な感覚。ずっと彼はこうだっただろうか。確かに昔から、少し変わった空気の持ち主ではあったけれど、こんな風な危ない印象は無かったはずだ。

(…いつからかな…)

 彼の態度が変化した、何かが必ずあるはずなのに。







 学が考えている間、千秋も思索していた。昨夜逢った桔梗の表情が、頭から消えなかった。千秋にとって、そんなことは今までなかったのに。寝た女の顔を、次の日覚えていることはない。別れれば、もうその女について思案することもない。しかし桔梗の顔だけは、忘れる事ができなかった。

(………『逢いたかった』…ね…)

 それは遊女の使う手練手管とわかっていても、わずか心を揺さぶる言葉だった。『上手だ』と言った後の、桔梗の表情が胸に靄をかけていた。千秋のことを、まっすぐ見つめるその瞳は、その戯言に色を添える。

(そう言えば、桔梗が手管を言うのを初めて聞いたな…)

 いつも何か言いたげに見上げて来るが、聞けば何でもないのだと首を振る。バレバレの手管を使われては興ざめと思っていたが、桔梗の言ったその言葉は意外にも温かく心に染み行くものだった。



(…女なんて、どれも変わらない)



 何年も何年も、それは実証され続けてきた。桔梗のことを思い浮かべる自分が滑稽で、千秋は思考するのを止めた。








[2019年 3月 13日改]