第八夜 お座敷遊び 








【注:未成年の飲酒表現がありますが、それを奨励する意図はありません】 





 本に見た物語



 彼女は暗く寂しい海底で



 気を紛らわせる為の宴を開き、誰かが訪れるのを待っていた







 ―――どうか帰ってしまわないで



 その為ならば何でもした



 ―――貴方は行ってしまうのですね



 渡した箱に詰めたのは、彼女の想いだった



 ―――わたしはここから出られぬというのに



 その想いに、彼が気づく事はなかったとしても











 いつも付いて歩いた



 その背が遠くなって行く





 もう、追いかけることは許されない







 その場所を見て思い出す



 華やかな姿を装った、彼の人の城







 捕われたのは、紅殻格子の竜宮城




◇◆◇第八夜 お座敷遊び◇◆◇




 水揚げから数ヶ月が経ち、玲奈は順調に客を付けていた。上客が派手に遊んでくれるおかげで部屋も少し上等なものを与えられた。玲奈の馴染みが、総花を付けてくれることもあり、玲奈は郭内でも少しずつその地位を上げていた。総花とは、その郭内の遊女や男衆全員に祝儀を与えることを言う。客側としてはかなり大きな金を使う事になるが、遊女からすれば見世の中で良い顔が出来るので、上客が付くと自らそれをねだる遊女もいた。





 千秋は玲奈がお願いするでもなく、時々大きな宴を開いたりした。これ見よがしに金をばら撒くのを野暮と言われる新吉原で、彼はいつも綺麗に大金を使う。派手に使っている割に、やはり彼の空気がそうしているのだろう、それにもどこか雅な姿があった。玲奈の付ける簪や、着物、仕掛け等、彼は装飾品をいくつも届けさせた。新しい部屋を貰う前、まだ小さい部屋の衣装棚に納まらないからと、玲奈が頼んでそれ以上買うのを止めてもらう程だった。

『俺があげたいんだよ。桔梗があんまり可愛いから』

 千秋はこともなげにそう言って、また玲奈を赤面させる。貢がせているのは自分のはずなのに、千秋の術の中に嵌まっているような感覚だった。




◆◇◆◇◆




「あぁ、やっぱりその色が似合うね」

「似合いますか…? ありがとうございます」

 先日届けさせた薄紫の生地に大胆な花の刺繍のついた着物を見て、千秋は微笑んだ。上から下まで、玲奈が身につけている全てのものは千秋が買い与えたものだ。一流のデザイナーを呼んで、千秋のイメージ通りに作らせた。他の客から贈られたものがないはずはないけれど、玲奈は千秋が登楼するときはいつも千秋の贈ったものしか身につけなかった。礼を言う玲奈の顔は、まだ慣れないのかはにかんでいる。その顔を見て、千秋は目を細めていた。





 今日も千秋は見世を買い切って、宴を開く予定だ。宴には、学や、その友人達も多く参加することになっている。その代は全て千秋が持つのだ。

「あの…」

 千秋が資産家なことはわかってはいるけれど、その金の使い方は、小さい頃からそんな風に豪遊するような生活に馴染みのない玲奈には少し不安になる程だった。玲奈が言おうとしていたことは、彼に見透かされてしまう。

「桔梗を、俺がみんなに見せびらかしたいだけだよ」

 千秋はいつも、玲奈が気にしないように、これは自分のためだと言う。綺麗な着物を贈るのも、高級な仕掛けを作らせるのも、宴を開いてみんなに祝儀を付けるのも、全て千秋自身のわがままだと。けれどそれが本当のことなのかは玲奈にはわからなかった。玲奈が気にする事ではないかもしれないし、千秋のしてくれる事は全て玲奈にとって都合のいい事だ。綺麗で品良く着飾っていれば、自然上客が玲奈を揚げる事が増える。そして総花を付けたりなどすれば、他の遊女からも郭で働く男衆などからも、玲奈は大切に扱われる。

 艶やかな紅殻格子に囲まれた女達の館では、その表の華やかさとは裏腹にかなり醜い争いもしばしば起きる。水揚げされて以来、今までは良くしてくれた姉さん方から疎まれる存在になっていた玲奈の状況は、千秋のこうした行動によって悪くなりはしなかった。だからわからないのだ。玲奈に都合のいいことだから、千秋はやってくれているのでは。

 胸にあるのは期待と、不安。こんなにしてくれる程、彼は自分を気にしてくれているかもしれないと言う期待と、ここまでさせる程の価値が、自分にはないのではと思う不安。織り交ぜの感情は、答えを求めようとしてもはぐらかされて、出口は見えない。

「ほら、桔梗? みんなもう待っているから。行こう」

 千秋に促され、差し伸べられる手にちょこんと手を載せて、宴のあるお座敷に向かった。




◆◇◆◇◆




 夕霧廊の遊女が次々と挨拶にやってきて、千秋に酌をして帰って行く。それは千秋に玲奈と話をさせる時間を与えない程だったけれど、千秋は上座に座りながら玲奈を抱き寄せていて、その左手はずっと頭を撫でてくれていた。酌をする必要もなく、話にはあまり参加できずにいる玲奈が退屈しないようにだろうか、彼は時々頬にキスをしてきたり、何かと構ってくれた。

 膳の物もあらかた食べ終え、皆口々に会話をしたり、遊びに興じるようになった頃、くつろいでいた玲奈達の前に学が顔を見せた。

「よ〜。なぁ、投扇興やろうぜ」

「投扇興?」

 千秋が少し首を傾げる。投扇興とは、江戸から続くお座敷遊びの一つで、百六十センチ程離れたところから枕と呼ばれる台の上にある蝶と言う的に扇を投げて当て、当った後の扇と蝶の形から加点していくというものだ。

 玲奈は他の客となんどかやった事があるが、千秋はそれを知らないらしかった。玲奈を水揚げするとき、新吉原には初めて来たと言っていたから、今となっては外の世界ではあまり主流な遊びではないのかもしれない。

「まぁまぁ。どうせお前はすぐできるから」

 学は今日は菊里という遊女を揚げていたので、四人で投扇興をすることになった。投扇興を知る他の遊女や、新造を呼び、行司(得点を決める人)、字扇取役(倒した蝶と扇を元に戻す人)、記録取役(得点を記録する人)になってもらった。本格的にするわけではないけれど、団体戦で負ければ罰杯と言われては、玲奈にとっては気楽にできるものではなかった。

「あぁっ」

『コツリにつき、減一点』

「あははっ桔梗ちゃんて本当へたっぴだなぁ」

 学の楽しそうな声が響く。なかなか扇を上手く飛ばす事ができないのを千秋が怒っていないかとそちらを見れば、彼は楽しそうに笑いながら、どうすれば上手く当るかなどを教えてくれた。最初扇の持ち方や遊びの進め方を教えたのは玲奈だったはずなのに、千秋は学の言った通りすぐにそのコツを掴み、もう既に玲奈よりも上手く蝶に当てる事ができた。

 五投交代で十投投げ、その合計で勝敗を決めるという形で、もう既に玲奈達は六回負けていた。結局その回も負け、千秋共々罰杯を飲まされてしまった。

「すみません…千秋様」

「ふ、そういうところも可愛いから大丈夫だよ。それに、次は勝てるよ」

 申し訳なさにうつむく玲奈に、千秋は頭を撫でながら励ましてくれる。

「まぁたこいつは根拠もなくそう言うことを言って…」

「ふふっ」

 学が菊里と笑い合うが、その次の回、彼は篝火《かがりび》と呼ばれる大変珍しい形を出し、高得点を獲得して言葉通りに勝ってしまった。



「あ〜ほんっとムカつく奴」

「ははっ。じゃぁ俺たちはそろそろ」

 初勝利に喜ぶ玲奈を促し、周りに挨拶をしながら席を立つ。

「え、もうですか?」

 促されるままに立ち上がろうとした玲奈は、足場が曲がっている様な感覚に襲われた。

「ほら、桔梗はあまり強くないみたいだからね」

 ふらつく玲奈を千秋が支えてくれる。罰杯は強い酒だったらしく、未成年だからと一番小さなちょこでしか飲んでいないにも関わらず目の前がぐらぐらしていた。

「…すみません…ありがとうございます」

 肩を抱き、身を寄せ合いながら辞する二人に学が野次を飛ばすけれど、それを綺麗に流し、華やぐ座敷を後にして、桔梗の部屋へと下がった。








[2019年 3月 13日改]