[2019年 3月 13日改]
小さな身体が 小さなこの手が いつも疎ましかった もう少し もう少し大きかったら あの人を抱きしめて包み込んで 慰める事ができたかもしれないのに ―――もう少し だから、嬉しかったよ わたしでも 役に立てたんだって思えたとき この手で あなたを慰めることは もう永遠に叶わなくても ◇◆◇第九夜 酔い月◇◆◇ お座敷での喧噪が遠のくのを意識の端で感じながら、与えられた部屋までの廊下を、千秋に支えられながら歩いていた。 「…大丈夫?」 「…あ、はい…すみません…」 遊女の癖に客に介抱してもらっているなど、莉堂が聞いたらお説教は免れないだろうと思う。床杯以来の酒は、玲奈の思考を浮遊させていた。なんとか自分で立てているものの、千秋という支えを無くせば前に進むことは出来ないだろう。 「…ごめんね」 「…え?」 部屋に着き、千秋は玲奈をゆっくり座らせながら言った。 「もう少し、早く終わらせるべきだった。気づくの遅れちゃってごめんね」 瞳を伏せて、千秋は本当に申し訳なく思っているようだった。 「…そんな、謝る事なんてないです…。私が下手だから…」 だから、これは仕方ない。言ってみれば自業自得だ。それに、自分がここまで酔ってしまっているのを、玲奈自身千秋が言うまで気づかなかった。 「…うん、ちょっとはしゃいでたかな」 「…ぇ…?」 千秋のせいではないと、必死に目で訴えていた玲奈は、千秋の表情が変わったことに気がついた。千秋は玲奈の顔を引き寄せて、その唇に口づける。数度食んで離れて、今度は耳元に唇を寄せる。 「ごめんね。投扇興、下手な桔梗の姿が可愛くって、もうちょっと見てたいと思ったんだ」 「…っえっ? あ、んっ」 千秋の舌が、耳の裏を嘗める。ぞわぞわとした感覚が、背筋を伝って玲奈は身震いした。再び向き合った千秋は、その顔にいたずらっ子のような笑みを称えていて。意地悪な事を言われているのに、可愛いという単語だけが、頭に響く。 「……千秋様は、楽しかったですか…?」 「うん。またやろう?」 微笑む千秋に、玲奈は極上の笑顔を返した。 ◆◇◆◇◆ 「ちょっと窓開けてみようか」 千秋の提案で、二人は窓の桟に寄りかかって外を眺めていた。 「わ〜冷たくて気持ち良い…」 風を受けて、さらとたなびく玲奈の髪を、千秋が一束取る。 「綺麗な黒髪だよね」 「え…そうですか…?」 自分の髪を綺麗だと思った事はなかった。むしろそれを言う千秋の方が、光に透かしたような透明感のある綺麗な髪をしていると思う。千秋は髪の毛をそのまま口元に持っていって、ちゅ、と音をたてて口づけた。どこかの城のお姫様に騎士がする、誓いのキスのような神聖なその行為なのに、千秋のたてた音と、彼が玲奈を見上げるその瞳が、艶やかな色をつけていた。金縛りにあったように、彼から視線を反らすことができない。いつのまにか間近に迫った千秋に、あっさりと唇を塞がれる。桟を背に、千秋の身体を前にして、その腕の中に閉じ込められているような体勢で奥まで入り込む舌に翻弄される。 「…んん…っ…ふ、ぁ……ん…」 長く、深く。逃げ場の無い腕の中で、なんとか息をしようとすると声が漏れる。背中から髪をさらう風がいくら身体を冷やしても、与えられる熱は加速度的に上がっていて、酔いを冷ますどころかどんどん回っているような気がした。 「あ……っはぁ…ん…っ!」 絡み合う千秋の舌が、玲奈のそれを強く吸った瞬間、玲奈を辛うじて支えていた脚がかくんと力を失った。 「―――っ……は、はぁ……」 「…大丈夫?」 千秋の腕に支えられながら、顔を上げると見える千秋の微笑み。こんなにも玲奈は息が上がっているのに、千秋は涼しい顔で澄ましている。 「…は、い…」 遊女として、玲奈だってもう半年近く仕事をしている。夜技だって最初の頃よりは上達していると思うし、千秋も上手くなったと褒めてくれる事もあった。けれど、未だに千秋が情欲に溺れる姿を見た事はなかった。遊女としてのプライドなどはあるかどうかもわからないが、涼しい顔の千秋を見ればどうしてか無性にこの人を夢中にさせたくなった。 「……ん、千秋、様…早く……」 玲奈は、目の前にある千秋の胸に顔を埋め、浴衣の上から胸を嘗めた。力の入らない脚はどうにもならないが、手はまだ動く。左手で胸に縋り、右手は千秋のものに添える。緩く動かす右手に、確かな手応えを感じながら、玲奈は上目にお願いした。 「…どうしたの…?」 いつもは、そんなことを玲奈からねだる事はなかった。千秋とするときに、そんなことを考える余裕はなかった。ただ攻められて、ただ喘ぐ。他の客の前、演技で感じたふりをするのはいい。けれど千秋が相手だと、演技をするなんて考える暇もない。玲奈の身体は、千秋に過剰に反応するようになってしまったらしい。その理由を、玲奈は考えないようにしていたけれど。 「……ん、お願い、です…」 窓の外、誰かが庭に出ていれば、明かりの灯ったこの部屋の濡れ幕は全て見えてしまうだろう。もしかしたら、大門の見張り衆にも影で気づかれてしまうかもしれない。花街と言えど、その情事を他人に見られるということは、街灯で身体を売る夜鷹にでも堕ちなければまずありえない。けれどそんなことは玲奈の頭にはなかった。――千秋の涼しい顔を、どうにか劣情でゆがめてみたい。 (――わたしに、夢中になって…) 千秋は玲奈のその誘いに乗った。千秋の腕にもたれてなんとか立っていた玲奈の片足を持ち上げて、屹立を押し込む。指でならしもしていないその秘孔はきつくて、玲奈は少し苦しそうに声を漏らしたけれど、千秋が腰を揺らせば、たまらない快感がわき上がる。 「…っあぁっん、ん――っんっはぁ…っ」 唾液を絡ませながら、舌を夢中で吸う。自分の体重も手伝って、千秋のものは奥まで届いた。揺らすたびに窓の桟がギッギッと音をならしていた。乱したかったはずなのに、結局はいつものように後も先もなく、乱されているのは玲奈のほうだった。 ◆◇◆◇◆ 首にすがりつく腕が、徐々に力ないものになっていく。酔って熱くなっている桔梗の中は、抱いている身体よりも更に熱かった。心地よいその感覚に包まれながら、桔梗の肩越しに空を見やる。 「…桔梗? ねぇ、月が見てるよ…桔梗が俺のもの銜えて喜んでいるトコロ」 「…っんっ、い、やです…そんな、こと……っ」 耳元でささやけば、その声にも感じるのか中が締まる。目に涙を溜めて、喘ぎすぎの声も切なく枯れそうだった。多くの男に抱かれながら、初めに感じた淑やかな美しさは未だ失われてはいない。 (……桔梗……) その名前が本名であるはずはないが、それが誰に付けられたにしろ、この少女にはあっているように思った。 月の見守る夜。 星も逃げ出す情事の中。 何も映さなかったその瞳に、かすかな熱が宿った。
[2019年 3月 13日改]