[2019年 3月 13日改]
―――本当に好きならば、その証を見せて下さい わざと無理なことを言ったのは 誰も本気だと思えなかったから ―――ひどい女だと見切りをつけて、お引き取りください 私はあなたたちとは違う世界の者なのです 言えない言葉を、いくつ飲み込んだのだろう 大切な人たちにも 愛しい人たちにも 何も言えずに帰った月姫 ―――育ててくれてありがとうございます 迎えの者が急かすけれど、それだけは伝えたかった ―――慈しんでくれて、ありがとうございました もう会う事はないけれど どうかどうか ―――お元気になさってください 遠く離れる姿は 振り返る事もなく ―――いいこね―――愛しているわ ただの気まぐれだったとしても たったそれだけで 天にも昇れた ◇◆◇第十夜 暗泪◇◆◇ 水揚げの日から一年半程が経ち、玲奈は一人の禿を抱える遊女となった。かなり早い出世だったけれど、理由は千秋が大金を使ってくれるところが大きかった。千秋は初めの頃月に二回程登楼してきていたけれど、それが月に三回になり、四回になり、今では週に一、二度は来てくれるようになった。 千秋の来る時、彼はいつも買い切ってくれた。だから莉堂に千秋から予約があったと言われた日は、彼のためだけに着飾って準備をした。登楼の回数が増えることが、玲奈にはひどく嬉しかった。千秋に抱かれると他の人に抱かれるときよりも身体は疲れるけれど、そんなことよりも心が喜んでいるようだった。 「あぁ、桔梗。高岡様がお見えになりましたよ」 「え…、はい」 張り見世に出ようかと階下に降りたときだった。上客の一人で、最近桔梗の馴染みとなった高岡が登楼していた。 「会いたかったよ、桔梗。元気だった?」 壮年の高岡は、大きな会社を経営しているらしい。苦労を重ねているのだろう、髪はもうすっかり白く染まり、それが実際の歳よりも老けてみせていた。褥の上、抱き寄せられながら、甘い戯言を言う。 「…高岡様にお会いできないときは、時が長いように感じます。…こうして逢っていれば一瞬とも感じる程に短いのに…」 「…僕もだよ…」 近づく唇に、目を閉じる。タバコの匂いで咽せそうになりながらも、玲奈はその時間を受け入れて行った。 「…あぁっ…! …ん…っ!! や、ぁ…っおもちゃにし、ないで…ください…っ」 高岡は上客の一人と言っても、玲奈はあまり好きではない客だった。彼は玲奈を抱くとき、ネクタイでその手や脚を縛ったり、笑い道具を使うこともあった。何より嫌だったのは、濡れていないのを見破られ、するときにいつも媚薬を使われることだった。どれも見世が禁止している行為であるが、二人の他に知るものがいるはずもなく、玲奈が見世に言うというわけにも行かなかった。 「桔梗? 愛しているなら、これくらい大丈夫だろう…」 「…っんんっ! ぅや…っん…っつ!」 この為に用意してきたのか、梁からロープをたらし、両手をそれに括り付けられていた。後ろから容赦なく攻め立てられるのに、床に頽れる事もできない。 「…は、…はぁ。最高だよ桔梗…。君も感じているんだろう…? 今日の薬もいいものを使っているからね…」 力の入らない脚が、その支えの役割を投げ出そうとすれば、手にくくりつけられたロープが肌に食い込む。きしむ天井の梁を恨みがましく見上げれば、上を向いているのにも関わらず涙がこぼれ落ちた。 ◆◇◆◇◆ 「…また、いらしてくださいね」 心にもない、常套句を口にする。けれど、高岡は上機嫌で玲奈にキスをして去って行った。高岡の姿はまだ見えているのにも構わずに、湯を使い、部屋へとあがった。張り見世に出れば客も付く時間帯だったけれど、今日はもう他の客を取る気にはなれなかった。 「―――っ、ぅ…っ」 部屋に一人うずくまり、さきの情事で出来た傷をさする。灯りも付けず、どんよりと曇った空からは月の光も届かない。遠くに見える大門の提灯が、オレンジの光を放っていることだけが見えていた。 「……ふ…ぅ…っ…――――っ」 静かな闇の中で、噛み殺したような声だけが響く。 紅い格子に囲まれた、この悲境で耐えていく。ここに売られてきた時から、覚悟してきたはずだった。 「………っ」 (……今だけ……) 溢れる涙は、自分を慰めてくれるだろうか。縋るものは何もない。誰も、ここから出してくれない。 (…今だけだから--------……) これからまた頑張るために。 夜をいくつ超えれば、あの大門を抜けられるのかもわからない。自分の身を嘆いて泣く事を、今までは禁めてきた。けれど果てしない道を歩くために、今日だけは。 (……今日だけは、泣いてもいいよね…?)
[2019年 3月 13日改]