第十一夜 慷概《こうがい》 









 想いを伝えることは難しくて



 すれ違う愛情は時に憎悪すら呼び起こす







 愛で騙して



 愛で惑わして



 愛で誘い込んで







 遊女に誠が無いのなら



 私たちは



 どうやって伝えればいいの





 搾り取る事こそが



 ここに生きる対価



 操を立てる事は出来ない





 孤独を生きる、夜の蝶




◇◆◇第十一夜 慷概◇◆◇




「あの…桔梗姉さん?」

 張り見世にも出ず、一人泣いていた玲奈は、遠慮気味にかけられた声に顔を上げた。襖の外で呼んでいるのは、最近桔梗が世話することになった禿の玉梓《たまずさ》だった。袖で涙を拭い、一つ小さく咳をして返事をする。

「…どうしたの?」

「えっと…あの、西城様がいらしてますけど…あの、具合が悪いんでしたらお引き取りを…」

 千秋が登楼するときはいつも予約が入ったし、その日の夜を買い切っていたから今日は来ないのだと思っていた。

「…少し待ってもらって。準備したら上がってもらうから」

「はいっ」

 元気よく返事をして駆けて行く玉梓の足音を聞きながら、灯りを灯し、鏡台の前に座った。

「……ひどい顔…」

 こんな顔を千秋に見せたらびっくりさせてしまうだろう。冷やしたタオルと暖めたタオルを持ってきて、目に交互に当てながら、腫れが取れるのを待った。




◆◇◆◇◆




「お待たせしてしまって申し訳ありません、千秋様。どうぞ」

 微笑む千秋の姿を見ると、心の中がきゅうと締まる。苦しい様な、嬉しいような感情を、玲奈はもうずっと持て余していた。

「…桔梗? どうかしたの…?」

 目の腫れも引いたし、いつもの通り笑っているつもりだったけれど、千秋にそう言われて戸惑った。

「い…え、何も…」

 少し詰まってしまった返事に、怪しまれたかと思ったけれど、千秋はそう、と言っただけで深く聞きはしなかった。




◆◇◆◇◆




「…あ、ダメです…」

「…?」

 着物を全部脱がせてしまおうとする千秋の手を止めると、胸に愛撫していた千秋が顔を上げた。

「…なぁに?」

 玲奈の様子を見ながら、千秋が唇にキスをする。

「…ん…あ、の…今日は…着たまま……」

 全てを脱がされてしまうと、さっき高岡に付けられた手首の痕が見えてしまう。優しい千秋に、余計な心配をかけたくなかった。

「…脱がせたらダメってこと…?」

「…ん……ん…は、い…」

 上に被さる千秋の重みに安心感を覚えながら、その口づけに応える。高岡との行為で疲れた心が、千秋に愛されると思うと軽くなるような気がした。

「…いいよ」

 千秋の言葉に安堵して、首に腕を回し、自らも深く口づけた。





「ん…っ! あぁ…っんっ……ふ、…っぁっ」

 激しく突かれる快感も、中を擦られる歓びも、千秋以外は感じられなかった。いくら媚薬で敏感になっていても、こんな幸福は他にない。耳元で聞こえる、彼の息づかいにも、頭や顔を撫でる大きな手にも。大切にされていると思える様な気遣いが、玲奈の心を暖めてくれるようだった。

 

 彼にその気がなくても構わなかった。今の玲奈には、縋る誰かが必要だった。




◆◇◆◇◆




 あまり激しくもしていないつもりだったけれど、桔梗は終わるとすぐに寝入ってしまった。

(疲れていたのかな…)

 来た時も休んでいたなら、無理に上がらずに帰るべきだったかと反省する。最近の自分はどうかしていると思う。取引先等に接待され、枕営業の女を抱いていても、その女を桔梗の姿と比較してしまっていた。脳内で変換される、桔梗の姿、桔梗の声。そして抱いている女が桔梗ではないことに気づくと、突然に熱が冷めてしまう。

 千秋は口元を歪め、自分を嘲った。彼女が自分に抱かれるのは、しょせんはただの商売でしかないというのに。どこの誰にも本気になどなれなかった自分が、よりにもよって遊女に惹かれているなんて、滑稽以外のなにものでもなかった。

(…そう言えば…)

 桔梗の寝顔を見ながら物思いをしていた千秋は、情事の中、いつになく自分のすることに待てを出した彼女のことを思い出した。着物を脱ぐと、なにか不都合なことがあるのだろうか。桔梗の真剣な瞳から、それが彼女にとって良くないことなのだろうと知りながら、千秋は桔梗の着物をずらして行く。



 特に変わったところもないな、とはだけた着物を直し、手を布団の中にしまおうとしたとき、着物の袖が濡れている事に気がついた。

「……?」

 不思議に思って袖をめくり、その痕を見つけた。

「……」

 細く白い手首に、赤々と残る傷跡。まだ瘡蓋《かさぶた》にもなっていないその擦れたような痕は、今日付けられたものなのだろうか。

(…桔梗…)

 あと半年もすれば成人を迎えるが、千秋にすれば桔梗はいつまでも少女のようだった。初めて逢った時のあの淑やかな美しさを、今でも色あせず、染まりもせずに体現している。



 そんな彼女が背負う、この色町の宿命。



 桔梗自身にその話を聞いたことは無いけれど、この街で遊女として働く娘達のほとんどは、親から売られてきているのだと言う。そうでなくても、自らそれを仕事にする者は稀だろう。今日の桔梗が、どことなく沈んでいるように見えたのは、これが原因だったのだろうと合点した。ひどい客を振る事ができると言っても、桔梗はまだ駆け出しで、これからもどんどん上客をつけて見世に払って行かなければならない身の上だ。見世側がこのことを知っているとは限らないが、例え知っていたとしても、大見世であるために花代も高いこの夕霧廊に来るほどの客ならば、見世としてもあまり手放したくはない客なのだろう。



 この小さな身体で、どんなに辛いことに耐えているのか。



 千秋は手首の傷跡にキスをして、その手を布団の中にしまった。今は安心して眠っているのだろうか。せめて夢の中だけでも、彼女を苦しめるものが無ければいい。



 静かな寝息を立てる桔梗の頬を撫でる。

(………遊女に本気になってどうするんだ…)

 そんなことは道化を演じることに他ならないと思うのに、桔梗を他の男と共有することに、憤りを感じていた。







[2019年 3月 13日改]