第十三夜 欠片




 

 ―――雨は、お空で神様が泣いているの



 神様にもどうにもならない程に



 悲しいことってあるのかな



 ―――雷は、お空で神様が怒っているの



 慈愛に満ちているはずの



 天空の人でさえも



 怒りを収められずに









 もしも



 本当に神様がいて



 どこかで見てくれているなら









 わたし達は



 嫌われているのかもしれないね







 生きて行く為に



 仕方ないとしても



 綺麗な身とは思えない







 もしも



 少しでも



 見てくれているなら





 わたし達にも希望を





 汚れた身を嫌っても



 光があれば



 必ず影ができるように







 手を伸ばす場所さえ見えない



 わたし達にも祝福を




◇◆◇第十三夜 欠片◇◆◇




「大変申し訳ありませんが、今週桔梗は都合でお暇を頂いておりますので…」

 近くまで寄ったので顔を見て帰ろうかと思ったが、桔梗は今週休みを貰っているらしい。

「そうですか…じゃぁこれだけ渡して下さい」

 こんなことは初めてだったけれど、遊女にも休みは必要だろうと、千秋は土産にと持ってきていた髪飾りを莉堂に渡した。

「承知致しました。またのお越しをお待ちしております」

 丁寧に頭をさげる莉堂を背に、夕霧廊を出る。裏の道には、夜鷹が客を待っているというが、夕霧廊は本通に面しているためその道を通らずとも大門まで行く事ができる。最近では顔馴染みになった見張り衆に軽くお辞儀をして、門を抜ける。大門まで続く道の左右には灯籠が淡く灯りを投げかけ、足下を照らしていた。千秋はこの道が好きだった。歓楽街の下品な音が遠のき、静かな夜の中、浮かび上がる大門。時代錯誤をおこしそうな趣おもむきある街を歩き、郭くるわで桔梗を揚げると、彼女は花のような笑顔で迎えてくれる。それゆえに、彼女に逢わずにこの道をくだるのを、どこか心寂しく感じていた。





 歓楽街を遊び歩いていた頃、新吉原の話は同じように遊んでいる者達から何度となく聞いていた。江戸の情緒漂う、木造の建物。提灯を模したその柔らかい灯りに照らし出された紅殻格子の遊郭通り。格子の向こうで、客に媚を売るでもなく、静かに座る遊女達。通りかかる客に何を言われても、微笑をたたえ、彼女たちが口を開く事はない。学に限らず、新吉原の不思議な空気に魅せられる者は多いようだった。どう繕っても所詮は娼婦と、どこか冷めた調子で考えていた千秋は、桔梗の元に通ううち、新吉原に魅せられる自分に驚いた。





 新吉原で年季を終え、外の世界に出る事を許されても、蓄えのない遊女は外で生活する術を持たない。結局は歓楽街で自らの身体を売って、なんとか暮らしているという女の話を聞いたことがあった。酒の席で、ちょっとした小話をしただけだったけれど、その女は人生に疲れたような笑顔をしていた。

『ひどい旦那様なんていくらでもいますよ。あたしなんかは小見世だったから尚更だったのかもしれませんけどね』

 その話を聞いた時は、それも商売ならば仕方ないと思っただけだった。

『若い時は、好きになった人がいても伝わらないのが一番辛かったですね』

 今は年を取るのが辛いですけれど、などと笑う。女の窶れた笑顔を流しながら、多くの男に抱かれていても、たった一人を好きになったりするのかと考えていた。





 今思えば、ひどい話。”所詮は娼婦”の彼女達だって、一人の”女”に変わりないというのに。




◆◇◆◇◆




「社長、お電話です」

 秘書の声に苦笑する。

「俺は社長じゃなくて、社長代理だよ」

 慌てて謝る秘書から受話器を受け取る。

『―――千秋か』

 電話口に聞こえてきた声を聞いて、ため息をついた。都内に建てられた豪奢な実家には帰らず、自分で買った家に帰っていた千秋がこの声を聞くのは久しぶりだった。

「…はい。どうされたんですか」

『そう嫌そうな声をするなよ。連れない。お前がいつまでも家に寄り付かないからだろう。可愛くない息子だな』

 電話線の向こうで苦笑しているであろう彼の顔が浮かぶ。今電話口で話しているのは、たいして重くもない自分の病を理由に千秋に半ば無理矢理社長代理を勤めさせている男。弱小だった西城グループをたった一代で今の大企業にまで発展させた化け物、西城孝雄《さいじょうたかお》だった。

「…父さんに似て可愛いでしょう」

『くっくっ。それはそうと、大事な話があるんだが、一度帰れないか? お前は一日中捕まらないから早めに予約を入れないとな』

 千秋はまたため息をついた。

「あなたが仕事を押し付けているからでしょう。考えておきますから、もう切りますよ」

『あぁ、もう一つ』

 受話器を置きかけていた手を止め、また耳元に戻す。

「…まだ何か」

『お前、最近新吉原に行っているんだってな? まぁ遊ぶのは構わないが、お前の馴染みの遊女の名前、なんていうんだ』

 いつもふざけた感じのする孝雄の声が、少し低くなっていた。それを聞いてどうするのかと思いながらも、正直に答えた。

「桔梗、ですけど。何かあったんですか」

『桔梗…。そうか…わかった。じゃぁな』

 そう言って、いつになく孝雄の方から電話が切れた。今まで千秋の女遊びに対して、決して口出しをしてこなかった孝雄が、そんなことを気にすることに疑問を感じた。彼は親としてどうかと思う程に、そういう方面に無関心だった。それがどうして、今頃そんなことを聞いてきたのか。



 ―――千秋がそのわけを知るのは、そう遠くはなかったけれど。




◆◇◆◇◆




「…星が見えないな」

 社長室のカーテンを開け、空を見やる。ネオンが輝くこの大都市の中心では、人口の光に邪魔されて儚い光は届かない。夕霧廊の桔梗の部屋から見た、静かな夜に輝く星と、眼下に広がる淫らな情景。それが恋しいと、いつから感じるようになったのだろうか。遊女に溺れる自分を滑稽に思いながらも、一人の女として、彼女を想う自分を否定できない。

 感情を持て余すことに、千秋自身戸惑っていた。けれど、桔梗を想う事に嫌な感じはない。とても自然に受け入れられる。





 いつか、どこかに落としてしまっていた欠片を、見つけたときの高揚感。余っていたその場所に、ぴたりと嵌まった。







[2019年 3月 13日改]