[2019年 3月 13日改]
誰かが作った物語 紙の上にインクをのせて 文字の世界に命を与える 子供の時にみた恋物語は 最後にはみんな花が散って いつも不思議に思ってた 作り物の中でさえ 恋は上手くいかないと そう、言われているような気がした どんなに想っても どんなに焦がれても でも、きっと違うね 沢山の選択の中 散ることのないように きっと、そう願ってた ◇◆◇第十七夜 白輝◇◆◇ 「…桔梗、眠い…?」 部屋に入ってからというもの、千秋は玲奈を後ろから抱きかかえるようにして膝に乗せ、壁にもたれて何かを考えているのか、眠ってはいないようだった。髪をいじったり頬を撫でたり、初めのうちは千秋のすることにいちいち反応していた玲奈も、今は彼に体重を預け、ゆったりとくつろいでいる。 「…いえ…なんだか眠れなくて…」 胸がざわざわと騒がしくて、とても眠れるようには思えなかった。眠ってしまえば、高岡の事を夢に見てしまいそうで怖かった。 「…あの人…前にも桔梗に何かしたみたいだったけど」 なんだかんだと慌ただしい中、高岡の無理心中未遂事件の事も警察に話すことになり、それを千秋にも聞かれてしまっていた。できれば千秋には知られたくなかったけれど、こうなっては仕方が無いと思う。 「……はい」 玲奈は千秋の方を見ずに答えた。 「…聞いてもいい?」 高岡から玲奈を守ってくれた千秋には、知る権利もあるだろうかと、玲奈はぽつぽつ話しだした。登廊の度に酷く辱められていた事などは言わなかったけれど、無理心中事件のことや、その後のこと等は全て話した。玲奈の話す間、千秋が口を挟む事はなかった。 「……辛かったね」 しばらくの後、千秋はそう言った。そしてまた、玲奈の頭を撫でてくれる。玲奈は千秋の手に素直に甘えた。 「桔梗…ちょっと、確認したいんだけど…」 千秋の言葉に振り返る。 「…学は、桔梗のこと抱いてないの?」 「……え…?」 学が事件の後通ってきてくれていることも一応話したけれど、それは千秋も知っているのだと思っていただけに、玲奈はその言葉に驚いた。 「…あの、登廊する時は…伊勢様はお話をするだけで…。…千秋様とご相談されているのだと思っていまいた…。いらっしゃる日が重なることがなかったので…」 「…事件の事を知らないのに?」 「…あ…」 そう言われればそうだ。学が千秋と相談して来ているなら、心中事件の事を話さなければ不思議に思われてしまうだろう。あまりに日にちをずらして来るので打ち合わせして来ているのだろうと納得してしまって、その事を失念していた。学が事件の事を話す可能性は考えていなかったはずなのに、そう思い込んでいた自分を不思議に思う。 「……やられた」 「…? 千秋様…?」 千秋は呟くと、玲奈の事を抱きしめた。嫌なわけではもちろんないが、肩口にあたる唇がこそばゆくて離れようとする。けれど千秋はその抵抗を許さないとばかりに、更に力を込めて抱きしめてきた。 ◆◇◆◇◆ 『嬉しがらせも上手に使うしな』 初めから、学の話には矛盾が多かったように思う。桔梗の口から嬉しがらせなど、千秋の記憶の限りでは一度しか聞いた事が無かった。そもそも桔梗のことを、学が揚げるという事が千秋にとっては予想外の出来事だった。学の性格を考えれば、千秋の馴染みを揚げることはないだろうと思っていたのだ。 『感じやすいのかな〜。最中はずっと喘いでるよな。そういう自分を見るのが恥ずかしいって、目は閉じちゃうけど。それが惜しいよな〜』 でもそんなとこも初心でイイか、などと言う学の呟きを流しながら、彼女の痴態を思い起こす。彼の話す桔梗の姿は、千秋の知っているものとは随分と違うようだった。感じやすいというのは同意見だが、彼女の瞳はいつだって、千秋を誘うように見つめてきていた。快感に歪むその表情も、涙に滲む瞳で見つめられるのも、千秋の雄を煽って困る程に。 『まぁお前も、そんなところに嵌まってんだろ?』 なにかと千秋に聞かせたがる学を不審に思わないでもなかったが、突然におかしな事をしでかす友人のすることをいちいち気にしてはいなかった。けれど今日、桔梗と楽し気に降りて来る学の姿を見ると、これまで感じたことがない感情に蝕まれた。苛立のままに桔梗を抱いて、その感情が嫉妬であることに気づいたのは彼女が気を失ってしまってから。 ◆◇◆◇◆ (……ほんと、やられたな…) 学の意図がはっきりした今、してやられたという感情は拭いきれない。腕の中にいる温もりに、特別な感情を持ったのがいつだったのかは覚えていないが、千秋自身が認めなかったその感情に、学は前から気づいていたのだろう。 「…千秋…様…?」 もぞと動く彼女を解放し、その唇に口づける。 「…ん…ふ、ん…」 気持ち良さそうにとろんと目を細める彼女を見つめながら、見つけた答えを口にした。 「…桔梗、俺に…身請けさせて?」 自惚れているだけという事は無いだろうと思った。学の話す桔梗が他の客の桔梗なら、自分の知る桔梗の中に、彼女の真実はあるような気がした。けれど千秋がそう言った瞬間、彼女の顔は氷ついた。 ◆◇◆◇◆ 「…え…?」 今、千秋はなんと言ったのか。 (…身請け…?) 「もう、他の男に桔梗を抱かせたくないんだ」 嬉しさに早まる鼓動と裏腹に、頭は急激に冷めて行く。真剣に迫る千秋の腕を押して、玲奈は少し離れた。 「…あ…ありがとうございます。…例えご冗談でも、千秋様にそう言って頂けただけで、私は幸せです。ですが、遊女を身請けするなんて、軽くおっしゃってはいけません」 「…どうして?」 引き下がらないらしい千秋に、玲奈は戸惑った。 「…千秋様は優しいから…一連の事件に同情していらっしゃるだけです。囲いものなんか連れていたら、婚約者様に逃げられてしまいますよ」 千秋は離れた玲奈をまた引き寄せて、唇を奪う。丁寧に遊ばれる舌の動きに翻弄される。 「…酷いね…。冗談だと…同情しただけだと思ってるの…?」 「…ん…んぅ…」 同情の他に、千秋がそんな事を言う理由が思いつかない。息の上がる玲奈のことを、千秋の薄茶色の瞳が見つめていた。 「桔梗のことを愛してるから、俺のものにしたい。…この身体を、俺以外の奴に触らせたくない。…それに…桔梗も、俺のこと好きでしょう…?」 「―――っ」 他に何をするでもなく、千秋はただキスを繰り返した。千秋の膝の上、腕の中に閉じ込めて、飽きる事無く何度も。 「…っ違います…」 「…なにが?」 玲奈は、顔を背けてキスを拒んだ。 「…千秋様のこと…特別に好きということはありません。まさか、遊女なんかの言葉を信じたわけではないでしょう。褥の上の戯言を、本気にするなんてらしくないですよ」 震えそうになる声を、必死で取り繕った。本当は、何も考えずに千秋に身請けして貰えたら、その後何があったって、玲奈自身には幸せだと思う。けれど千秋の事を考えれば、それが千秋の幸せになるとはどうしても思えなかった。 「……そう。そうだね」 静かな声が、部屋に響く。これで良いのだと、自分に言い聞かせた。 ◆◇◆◇◆ 「…桔梗…嘘を通したいなら、そんな顔しちゃ駄目だよ…」 「…え…」 千秋は微笑んで、袖を玲奈の目尻に押し当てる。渇いた袖に、玲奈の流す涙が大きなしみをつくっていた。 「本当は、好きでしょう? 俺のこと」 「な…、千秋様…っ」 千秋は玲奈を褥に倒して、その胸をつつとなぞる。 「…ん…?」 「こ、これから…ですか…?」 玲奈の問いに、千秋は微笑みで返した。 「桔梗が素直に、俺に身請けさせてくれるって言うまでね」 「―――んっ」 限界までしたはずの行為だったけれど、千秋はさっきのように強引に抱きはしなかった。泣きたくなる程に優しいその手に、つい甘えたくなってしまう。 「…っん、もう…っ」 「…駄目だよ…まだ聞いてない…」 千秋は玲奈の気持ちに確信があるのか、玲奈がどんなに言っても身請けを諦めてくれないようだった。言われる度に言葉で拒否するのは苦しくて、玲奈は首を振る事でやっと拒否を示していた。 「ど…して…。千秋…様なら、可愛い恋人が沢山…っあ、ん…」 どこのどんな人でも、遊女である玲奈よりはしっかりとした身の上だと思う。 「…言わなかったっけ? 桔梗のことが、好きだからだよ」 「…っそん、なの…っ」 千秋は好きだというけれど、そんなのは一時のものだと思う。 「ねぇ桔梗…本当に、嫌なの? 本当に、俺の事なんて好きじゃないの…?」 「…っ」 悲しそうに見つめて来る瞳を、直視することができない。今はっきりとそうだと、千秋のことなんて想っていないと言う事ができれば、千秋は諦めてくれるような気がした。それを望んで、身請けを持ちかけられたときからずっと拒んできたのだ。 一言、「好きじゃない」と言うだけで――。 「………好き……です…」 口からこぼれた言葉は、考えていた言葉とは違うものだった。けれど、それこそが玲奈の本当の言葉。心の動揺を笑うかの様に、頭で理解するよりも早く言葉が溢れる。 「…好き…です…千秋様…だけ…」 今日は、その言葉を口に出して何度も言った。遊女の言葉と、千秋はそれを信じてくれなかったけれど。千秋の手が玲奈の目元を拭う。窓の外ではいつのまにか、黎明《れいめい》の空が白く輝いていた。 「良かった…。身請け…させてくれるよね?」 差し込む光に照らされた千秋の微笑みを見て、玲奈はまた涙を流す。頷いた玲奈に、優しいキスが降りた。
[2019年 3月 13日改]