第二十夜 背徳





 





 深い森の中



 暗い海の底



 広い空の彼方



 



 どこへ探しに行けば



 本物は見つかるんだろう







 追いつけば逃げられて



 掴んでは消えてしまう

 





 膨れ上がるその中に



 つかっていると思っても



 所詮は幻







 いつかは消える





 泡のように




◇◆◇第二十夜 背徳◇◆◇




 着く間際に降り出した雨に少し濡れながらも、千秋は夕霧廊に逃げ込んだ。莉堂からタオルを受け取り、適当に水気を取ってから玲奈の部屋へと上がる。

「…? 玲奈? 灯りもつけないでどうしたの」

 玲奈の部屋は真っ暗で一瞬不在なのかと思ったが、よく見ると彼女は窓を開け、外を眺めているようだった。千秋は返事の無いことを不審に思いながらも、灯りをつけてから玲奈に近づく。



「…玲奈?」

「…っ! 千秋さん…」

「……どうしたの」

 泣いて腫らして赤くなった目を覗き込んで、何があったのかを問うが、玲奈は俯いて話そうとしない。しばらくは抱きしめていたけれど、千秋は不意に玲奈の顎を掬った。

「―――っ駄目です…っ」

「…?」

 キスを嫌がられたのは初めてで、千秋は驚きのまま玲奈を覗き込む。

「……玲奈? 何があったの」

 止まっていた涙がまた溢れ出し、嗚咽を漏らしながらも、玲奈が口を開く。

「…っきょ、う…お父様が…」

 雨の当る窓際では寒いだろうと、部屋の中へ移動させて、膝の上に乗せて抱きしめながら話を聞いていた。

「父さんが来たの? …何か言われた? 身請けの話ならあの人に意見させる気はないけど」

 玲奈はふるふると首を振った。先を促すけれど、その先を言おうと口を開く度に、嗚咽に邪魔されて声を出す事もできない。

「…っわ、わたし……っ孝雄様…っ千秋さんの…お父様の…っ―――っ子供…だって…っ」




◆◇◆◇◆




『…玲奈ちゃんだよね?』

 孝雄はゆっくりと、その名を口にする。新吉原に来たときからその名を名乗る事は出来ずに、つい先日、やっと千秋に打ち明ける事ができた本当の名前だ。それを、どうして千秋の父親が知っているのか。

『…千秋さんに…お聞きになられたんですか…?』

 驚きの中でも、割に冷静に判断したと思う。それ意外で玲奈の本名を知っているはずがない。

『いや…。最近あいつとは話してもいないよ。…まず、私は君に謝らなければならないね。こんなに長くかかってしまって本当に申し訳ない。すまなかった』

 混乱の中、全て理解したかと聞かれればそうではないが、孝雄の話はこうだった。



 厳格な両親の元西城家に生まれた孝雄は、二十八年前に親の決めた相手景香《けいか》と所謂政略結婚をした。当然夫婦仲は上手く行かず冷えきったものだったけれど、そんな中でも母智恵《ともえ》の念願であった長男、千秋が誕生する。けれど家庭が突然変わるでもなく、そのまま時は過ぎて行った。

 そんな頃、孝雄は夜のバーで翔子という女性と出会う。ざっくばらんで奔放な翔子に、孝雄はどうしようもなく惹かれていった。千秋が三歳を迎える頃、景香との関係も修復し始め、その翌年に次男美冬が誕生。孝雄にとって、もう家庭は冷えたものでもなかったけれど、翔子の魅力に抗う事はできずに不毛な関係は続いていた。

 しかしある日、翔子は突然に孝雄の前からその姿を消した。孝雄はすぐに翔子の行方を探させたけれど、その消息は全く掴めずに、更に月日は流れて行く。

 

 翔子の失踪から十年以上が経ったある日、亡くなった智恵の遺品を整理していると、気になる封筒と日記が出てきた。興味本位に中を見てみると、驚く事に翔子の事について調べた書類や、写真が出てきた。智恵の日記には、翔子の妊娠を知った経緯やその後堕胎するための金を渡し、翔子にはもう孝雄に会わないように脅しをかけた事などが、事細かに記されていた。翔子が堕胎せずに、女児を産んだということも。智恵に対して怒りを覚えたが、もう起きてしまったことは仕方が無いと、すぐに智恵が調べていた翔子の消息をたどるように手配した。しかしやっと翔子の消息を掴んだと思ったら、もう既に時は遅く、彼女は病に倒れ息を引き取った後だった。娘がどこに行ったかは結局分からず終い、この件はまた、孝雄の心の中に沈むことになるはずだった。最近になって翔子の友人だったという者からの情報が届けられるまでは。



『……本当に驚いたよ…。まさか遊郭に売っていたなんて』

 玲奈は孝雄の悲痛な表情を見ながらも、なんとか言葉を整理しようと勤めていた。





 新たな情報に、孝雄はすぐさま新吉原を調べ上げた。 グループの権力を多少使いながら、売られた年や遊女の年齢を調べさせた。そうして行き着いたのが、夕霧廊の桔梗だったのだという。密かに入手した髪の毛からDNA鑑定を行い、間違いなく孝雄の子であることが判明したのがつい先日。急いで身請けしようと連絡すると、すでに息子である千秋が身請けを申請しているという。



『…玲奈ちゃんが、私を許してくれるとは思っていないが、…それでも引き取らせてほしいんだ。翔子さんが遺した君を。……今は、お母さんが亡くなっていたということもショックが大きいと思うが…』

 放心する玲奈の頭を撫で、また来ると残して孝雄は帰った。莉堂が孝雄を送りに出る声を聞きながら、何をすればいいのかもわからずに、玲奈は座っていた。胸の中は、妙に静かだった。




◆◇◆◇◆




「………だから……千秋さんと…わたし……血が……」

 玲奈の話をずっと黙って聞いていた千秋の顔を見上げると、少しの間のあと、千秋は普段と変わらずに笑いかけて来る。

「………それが、なに?」

「…えっ」

 千秋は玲奈を抱き上げて、褥に押し倒す。自然なその動作にいつもの様に流されてしまいそうになるけれど、玲奈は慌ててその手を止めようとした。

「…ん?」

 千秋の態度はいつもと同じで、それが今は異様だった。

「あの…っ千秋さん…! 駄目ですっ待って…っ!」

 玲奈の制止にも、千秋は反応しない。押し返していた手は千秋の手によってシーツに沈み、自由な方の手で押し返すにも玲奈の力では敵うはずも無い。

(どうして…! 兄妹かもしれないのに…っ)

「千秋さんっ待って…! お願い…っんっ」

 唇を塞がれて、千秋の舌が歯列をなぞる。中性的で綺麗な千秋の顔に、今は感情が見えなかった。

「んっん――っやぁっま、待ってくださいっ…!」

 必死に訴えても、千秋は止めようとしない。

「玲奈……どうして? 嫌?」

「…っ! い、や…とかじゃ…っでもっ」

 構わずに続ける千秋の手がやけに冷たい。雨のせいでしっとりと水気を含んだ空気が、肌を冷やして行く。

「もう…何度もしたでしょ…今更、何を嫌がってるの…?」

 言われれば、確かに今までも幾度となく肌を交わらせてきた。けれど千秋との関係を知った今、その行為をするのは道徳的にとてもいけないことだと思う。どこの文化の中でも、兄妹で交わる事は禁忌とされてきた。関係を知らなかった今までと、今の状況とではその意味が違う。

「…っん! やぁぁっ千秋さん…っ止めて…っ! ……っおねが…っ」

 震えてしまう声に、千秋はやっと顔を上げてくれた。

「……わかったよ…」

 千秋の言葉に安堵して、力を抜いた玲奈の身体をくるりと回して、後ろから押し当てられる。いつもよりも強引に中に割り入ってくるのは、紛れも無く千秋自身で。

「…っ!? んっぁっ―――っ」

 わけもわからず突き上げられて、喘ぎながらも、涙が流れる。

「…っん! やぁ、…っひ、どい…っ千秋さん…っ」

 腰を持って突き上げられるその体勢では千秋の表情は見えない。

「……違うよ…千秋”様”でしょ? 桔梗…」

「っ!? なっ…っん、っ」

(なんで………)

「玲奈が抱かれたくないなら…桔梗として抱くから…。遊女なら、嫌でも拒めないんだよね…?」

「…っ! そ、んな…っんっいやぁ…っ」







「っ…っん、ん…」

 最初は抵抗していた玲奈も、どんなに言っても止めるつもりがないのだと分かると大人しく抱かれるようになった。

 玲奈は、千秋にとって自分が何なのかわからずにいた。

「……泣かないでよ…俺が酷いことしてるみたい…」

 座位で上下に揺さぶられるのも、キスをされるのも、玲奈は全てを受け入れる。

「…っだ、…て…ひどいです…っこんな…」

「…くす、そっか。…酷い事してるのか…」

 楽し気な千秋を見て、何か違和感を感じる。いつもの千秋のはずだけど、いつもとどこか違う。





 それがどこかを言い当てられない、自分がもどかしかった。




[2019年 3月 13日改]