[2019年 3月 13日改]
継母にいじめられ城を出た少女は 森の中で優しい小人と出会った 少女はある日毒リンゴに倒れ 小人は死んでしまったと悲しんだ けれど通りかかった王子が ガラスの棺に眠る少女を見つけ その赤く色づく唇に、そっと接吻を落とすと――― 本の最後のページをめくれば 寄り添う二人の姿と共に、彼女の優しい笑顔 少女は城を出なければならなかった けれどもし、城を出なければ――― ―――彼と出会う事もなかったの ◇◆◇第二十四夜 掌一握◇◆◇ 「社長」 秘書の声にまた注意をしようと口を開くが、千秋は苦笑してそれを止めた。 「なに?」 「孝雄様からお電話が入っております」 「…はぁ。わかった」 最近はこんな風にため息をする回数が増えていると思う。 「…はい。なんですか」 『相変わらず冷たい奴だなぁ。少しは優しくしてくれても…』 「で、用件は」 『……。…お前、いつから知ってたんだ』 電話の向こうから聞こえるノイズで、彼が家から出て外にいることがわかる。家にいる景香や美冬には聞かれたくない会話をしようとしているのだろう。千秋は手で秘書に部屋を出て行くように指示し、仕事用のデスクに軽く寄りかかるように座った。 「あまり覚えていません。でも、少なくとも小学校上がる時ぐらいにはもう知ってたんだと思いますよ」 『……お前は…』 受話器から、大きく息を吐き出す音が聞こえる。 「話し合ったんでしょう? 美冬はなんて言ってました?」 『……あいつはお前と違って可愛いから、ちょっとショックを受けてたな』 美冬のショックに固まる顔が想像できて笑えてしまう。 「もう俺の言った期限まで幾日もないですけど」 『……景香は泣いてたぞ』 「俺はずっとはっきりさせないつもりでしたよ。 …まさか自分を棚にあげて責めたんじゃないでしょう」 机から離れ、窓際へ向かう。厚く垂れるカーテンを分けて、窓の外を見やった。 『まさか。……まぁ、今回の事でお互い全部隠し事がなくなって、これから更にらぶらぶになれるんじゃないか』 冗談のように言っていても、孝雄が本心からそう言っていることはわかる。向こう側で快活に笑う孝雄のそういう性格を、千秋は密かに尊敬していた。 「……そろそろ答えを聞きたいんですけど?」 孝雄が一通り笑いが止むと、千秋は最も聞きたかった話題を切り出した。彼が応じてくれるなら、千秋は会社を継ぎ、西城を出る事もしない。その為に千秋が孝雄に出した条件は、玲奈のことは全てにおいて手を引く事、孝雄自身のDNA鑑定結果を千秋に渡す事の二つだった。 『……私はお前のことを、今でも自分の本当の子供だと思っている』 DNA鑑定。そのデータを千秋がほしがった理由を、当初孝雄は理解していなかった。千秋が自分のものと、妻景香の鑑定結果を持って来るまでずっと。 「…俺もですよ」 幾つのときだったか覚えていないが、使用人の話をたまたま聞いてしまった。自分が孝雄の子供ではないかもしれないという疑惑は、それからずっと胸の中にあったもの。幸いにも千秋はよく景香に似ていたので、孝雄と似てなくたって怪しまれる事もなかった。けれどそう思えば思う程、自分を見る母が気になった。注意してみなければわからない程些細な変化でも、千秋の疑惑は深まって行った。 こんなことでも無ければ、明らかにする必要も無かっただろう。自分だって孝雄のことを、父親ではないと感じたことはなかったから。血が繋がっているとかいないとかは関係なく、千秋のことをまっすぐ見ていてくれる景香と孝雄が、千秋にとっては両親だった。 『…わかった。…はぁ…娘も欲しかったんだけどなぁ』 こんな話をしている時にでも、軽い口調で話す孝雄に苦笑を漏らす。 「はは、すぐに娘になりますよ」 高層ビルの上階に位置する社長室から見る外の景色は、空の星は見えないものの、地上の夜景はよく見える。街灯やビルの明かりや、車のライトの光が、暗く冷たいコンクリートの上で瞬いていた。通話を切って、その景色をぼんやりと眺める。 (―――…もう、随分触れてないな…) 一晩が千日にも思える程、彼女の事を思っていた。それでも会いにいかなかったのは、全てが収まってからと決めたから。彼女が血を気にするなら、その不安を取り除くのが先決だと思ったから。 (……まぁちょっと意地悪もあったかな) 兄妹と言われた直後で、気が動転しているのだろうことは見て分ったけれど、あそこまで拒まれると面白くなかった。空回りしているような想いに少し焦りもあった。忙しく仕事を片付けていたのは、彼女のことを思い出す時間を削るため。仕事に没頭する事で、ともすれば夕霧廊へと向いてしまう足をなんとか留まらせていた。 大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。美しい夜景に未練無く別れを告げ、車のキーを取った。 ◆◇◆◇◆ 美冬と学が来た日から、十日程経っただろうか。それまではどこか魂の抜けた様子だった玲奈は、彼らが来てから本来の彼女を取り戻したようだった。時々散歩にも出かけるし、仕事をする必要のない毎日を、退屈しないように暮らしていた。 「「桔梗姉さん…! 起きてますか…!? あ…」」 「?」 二人の禿、玉梓と乙葉の揃った声を聞いて、玲奈は不思議に思いながらも階下に降りようと腰を上げ、襖を開けようと手を伸ばす。すると玲奈が手をかけるよりも先に、襖が引かれ、そこに影が立っていた。視線を落としていた玲奈は、その足下を見て、鼓動が早まるのを感じる。 ゆっくりと、視線を上げれば―――。 「……」 千秋が、玲奈に柔らかく微笑みかける。 「久しぶり、玲奈」 千秋の澄んだ声で玲奈と呼ばれて、涙があふれる。 「……千秋……さん…?」 前に別れた時には、客として呼ぶように言われた。けれど千秋が名前を呼んでくれたから、玲奈も客としてではなく千秋を呼んでみる。 「うん?」 溢れた涙がこぼれ落ちた。千秋の奥、玲奈を呼びに来たのだろう禿達が、二人の様子を気にしながらもその場を離れる。 「…部屋に入れてくれないの?」 千秋の声を聞くと、胸が震える。 「……千秋さん…」 玲奈が手を伸ばすと、千秋はその手を取って引き寄せ抱きしめた。きつく抱きしめられて息も付けない程なのに、もっと千秋の近くにいきたい。腕の力が緩められ、顔を上向けられる。 「―――…ん……」 何も考えず、ただ一途にその唇を受け入れていた。口内を弄るその感覚にも、懐かしくて、愛おしくて涙がでる。 「ん、……ん…」 襖が閉められる音が、千秋の後ろで聞こえたかと思えば、彼は玲奈に口づけたまま抱き上げて、褥のある部屋へと運んだ。今まで散々考えていた言葉は、いざ千秋を見ると何も出てこなかった。触れられる嬉しさに、全てのことは頭の中から追い出されてしまっていた。 毎晩、多くの男達に許して来た身体なのに、千秋に触れられる事に緊張していた。 「……玲奈…どうしたの…」 身体が固まってしまっている玲奈の様子を不思議に思って、千秋が声をかけると、玲奈は頬を真っ赤に染めて目をそらした。 「……あ…の…、…緊張…して…」 正直に言った玲奈に、千秋はくすくすと笑う。 「…緊張…?」 玲奈はこくりと頷いて、手で胸を抑える。 「……心臓が……壊れたみたい…」 脈打つ速度がどんどん速くなっている。落ち着こうと深呼吸しても、何の効果もなかった。目の前に千秋がいて、自分に触れることを思うと。 「……本当だ…速いね…。……こういう時、作り物のヒーローなんかは、自分の心臓の音でヒロインを落ち着かせたりするよね」 「……?」 「……でも、俺も速いから、その作戦は使えないかな」 自分の心臓に手を当てていた千秋が、不意にそんなことを言う。玲奈は思わず笑ってしまった。 「ふふ、千秋さんがヒーローで、私がヒロインですか?」 「……やっと笑った」 「―――…え…」 千秋の手が、玲奈の頬を柔らかく包む。玲奈の緊張を溶かすように、ゆっくり撫でて、なだめて。頬を撫でていた手が少しずつ下がって、鎖骨の辺りをゆっくりとなぞる。 「……今日は、嫌じゃないの…?」 触れるか触れないかのぎりぎりの位置にある千秋の唇を意識してしまう。玲奈が口を動かせば、そのまま触れてしまいそうで、更にどきどきしていた。 「……え…?」 「…この前は…嫌がってたでしょ…?」 「あ…」 今も理性的な部分では、このまま流されてはいけないと警報がなっている。けれど、愚かな事だとわかっていても、この腕を拒む事はできなかった。理性とか、常識とか、全てどうでも良いと思える程、目の前の人が愛しい。 「………私…考えていたんです…」 「…ん…?」 千秋の瞳が、玲奈のそれをまっすぐに捕らえていた。先を促すように、身体をなぞっていた手を休めて、玲奈のことを見下ろしている。 「……千秋さんが来ない間…私がどうしたいのか…。私、…血が繋がっているって言われた時、千秋さんへの想いを諦めるしかないって思ってました」 「……うん…」 ゆっくりと、言葉を紡ぐ玲奈を見つめる瞳が優しい。 「…でも…諦めなきゃって思う度に…気持ちが大きくなっていくみたいで…。どうしてもできないんです…」 しっかり言わなければと思っても、声が震えてしまうのを止められなかった。わがままだと言われても、非常識だと後ろ指さされてもいい。ちゃんと聞いて欲しくて、ちゃんと言いたい言葉なのに。 「……私、…千秋さんのこと…好きなんです…。同じ…血が流れてても、…許されなくても…どうしても…。―――好きです…」 千秋は黙って、瞬きをするたびにこぼれ落ちる大粒の涙を拭っていた。滲んだ視界に映ったのは、無防備に微笑む彼の姿だった。 「…良かった。玲奈の気持ちを疑っていたわけではないけど、焦らした甲斐があったみたい」 「……え…?」 千秋は玲奈の額にキスをして、静かに話しだした。 「俺に、父さん…西城孝雄の血は流れてないんだ」 「……」 玲奈は自分の耳を疑った。都合のいい空耳だとしか思えない。千秋が孝雄の子供ではないということは、それはつまり――。 「だから、玲奈とも血がつながってないよ」 頭の中の思考と、千秋の声が重なって聞こえた。 「…え…? 嘘…」 「くすくす、嘘言ってどうするの? 俺は母さん、西城景香とその不倫相手との子供なんだ。ついこの間まで、父さんも知らなかったみたいだけどね」 「……」 たった今、人生で最も重大だと思えることを決死の思いで打ち明けたところで、その告白や悩んだ日々が取り越し苦労だったことを知った玲奈の心境は複雑だった。千秋がここに来て、嘘をつくはずがないことはわかっている。けれど素直に喜べなかった。 「……玲奈?」 頭の中を整理しようと思案を巡らせていた玲奈に、千秋が声をかけた。けれどその表情は、玲奈を心配しているというものではなくて、どっちかというとその様子を楽しんでいるように見える。 「………千秋さん、最近意地が悪くなってきてませんか…?」 玲奈が考えていたことを、遠慮がちに告げると、千秋はにっこりと笑って答えた。 「俺は最初から意地悪いよ」 ◆◇◆◇◆ 「…っん…! あぁ…、あ…っ」 久しぶりに交わるその感覚に、身を震わせる。ぐちゅぐちゅと、繋がったところから溢れる愛液がどうしようもなく淫らなBGMを奏でていた。 「玲奈…今日は積極的だね…?」 騎上位で、自ら上下に腰を揺らす玲奈の姿は、それでなくても欲求不満気味だった千秋の雄を更に煽っていた。ずっと胸に支えていた最大の不安が除かれた事で、玲奈は開放的な気分になっているらしく、その内壁も心と呼応するかのようにどん欲に千秋を銜えて離さない。 「ん…、ん…っあ…ぅ…」 千秋の為に、自分で動きたいと言った玲奈の気持ちを尊重するため、玲奈のしたいようにさせていた。 「…玲奈…キスしよう…」 千秋の言葉に、玲奈が身体をかがめて唇を寄せる。 「…っんん…あ、ん…」 屈んだおかげで予期しない場所に当って嬌声をあげた。背中を抑えて、唇を貪りながら、千秋は身体を回して体勢を入れ替える。 「あ、千秋さん…、駄目……きょ、う、は…わたしが…」 「くすくす、うん…。ごめんちょっと、我慢できない」 言うなり、玲奈の腰を持って激しく打ち付ける。性急な千秋の動きに、もう玲奈はただ喘ぐしかなかった。 ◆◇◆◇◆ 散々求め合って体力を使い切った玲奈は、終わるとすぐに深い眠りについてしまった。気持ち良い疲れと、欲が満たされた爽快な気分で、うっすらと明るみ始めた外から入る淡い光の中で彼女の姿を眺める。自分がここまでする程、一人の女に執着できると思っていなかった。嫌悪すらしていた愛情に、捕われる事をこんなに嬉しく感じている自分に驚く。 千秋はふと起き上がると、スーツのポケットに入っていた小さな箱を取り出した。まさか千秋が開ける事になるとは考えていなかったのだろう、店員の技の結晶とも言える様な見事に装飾された包装を、何の躊躇も無く解いて行く。鬱陶しい程丁寧な包装を全て解き終わって、出て来た小さな赤い箱を開ける。中に鎮座していたのは、プラチナ台座の上に大きめのダイヤモンド一つと、その周りに二つの小さめのダイヤモンド、ハート型にカットされたブルートパーズがあしらわれた指輪だった。 千秋は箱から無造作にその指輪を取り出して、ぐっすりと眠っている玲奈の手を取る。ゆっくりと嵌めた指輪は、玲奈の左手薬指にぴったりと収まった。サイズはいつも触っていた玲奈の指と、店員の指を比較して決めた。もし合わなかったら作り直そうと思っていたが、ちょうど良かったようだ。着物姿の玲奈に、現代風な指輪がどこか倒錯的で面白い。 「これは予約」 朝、玲奈が目覚めて自分の指に嵌められたその指輪を見て、どんな反応をするのかを楽しみに思いながら、指輪の光る玲奈の指先に口づけて微笑んだ。
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