月下福禄琥珀章

第四幕 呪詛払い




    「あぁぁぁぁ! ちょ、日和! なんで廊下水浸しなの!?」
    「え?」

     銀は日和が通った廊下の後を見て悲鳴をあげた。彼女がこの屋敷に来てから三日目、掃除を手伝いたいと申し出たので廊下の水拭きを頼んだのだ。びちゃびちゃの雑巾を手に首を傾げる日和に、銀は盛大にため息をついた。凛がいないとすぐこれだ。日和が元が猫だというのは靖伴に聞いてはいたが、今はどう見てもただの女の子である彼女を、銀はもてあましていた。人として育っていない日和には、兎に角常識がない。
     初めて食事を出した時、手で食べようとするのを銀はとめた。そして訝しみながらも、箸と匙《さじ》の使い方を教えた。おかしいとは思っていたが、人でないならば当然だ。それからも日和はびっくり仰天の行動をし続け、銀を疲弊させた。着替えと言えばその場で脱ごうとするわ、屋敷の柱で爪を研ごうとする。極めつけに、彼女は用を足そうとする時に厠へいくことも知らなかった。

    「あー…もう…。ちゃんと教えただろ? 雑巾を水に浸したら、その後ちゃんと絞るんだって!」

     怒られた日和は、俯いてしゅんとしている。見えるわけないのだが、耳が下がっているように見えた。銀はぽたぽたと水のしたたる雑巾を奪うと、盥《たらい》の上で固くしぼって、再び日和に持たせてやった。

    「…はぁ…。…もう、いいから、これでまた拭いとけよ」
    「…! うん! ありがとうっ! 頑張るね!」

     銀は、嬉しそうにまた雑巾がけを始める日和を見て、再びため息をついた。突然人になったのだから、慣れていないのは当たり前で、その状況にめげても仕方がないと思うのだけれど。日和にはめげる様子など微塵もない。日和は、よく笑う。最近では凛もいるが、この屋敷には今迄、主である靖伴と、銀、時折靖《せい》という名の式神がいるだけだった。日和が来てから、屋敷内がそれまでと比べ、格段に明るくなった。日和のような年頃になると、貴族の娘は男の前に無闇に姿を表したり、このように笑うなどあり得ない。町の娘たちも、口元を隠し、控えめに笑うのが美徳とされていた。けれど、日和のその子供のような無邪気さが、銀は嫌いではなかった。




     凛は都の呉服屋から出て空を見た。相変わらず燦々と照らす太陽は、人間達にはさぞ辛いものだろう。本来実態を持たない自分でさえも、鬱陶しいと思うほどの光量が、大地を焦がしている。日和の為に、必要なものを買いそろえようと都に出て来たが、あらかた用は済んでしまった。屋敷へ戻ろうかと歩き出すと、ふとすれ違う町人の会話が耳に入った。

    「橘《たちばな》のお屋敷の末娘さん、突然高熱で倒れられたとか」
    「全身に斑点が現れて幕府の陰陽師を呼んだらしいぞ」

     橘と言えば、天皇の遠縁にあたる一族である。体調を崩し、倒れる所はここ最近都で増えている流行病《はやりやまい》にも共通するが、斑点がでるというのは気になる。橘の屋敷は都の南側に構えているので、丁度帰り道にあった。凛が屋敷の近くまで来ると、丁度幕府の陰陽師とやらなのだろう、男が出てくる所だった。屋敷の者は仕切りに頭を下げ、感謝を現している。家路につく男が去るのを待ち、凛は見送りに頭を下げ続ける女に声をかけた。

    「失礼ですが、末のお嬢様、お加減いかがですの?」

     女は顔をあげると、少し疲れた顔で笑顔を作った。

    「まぁ、わざわざ。たった今、幕府の陰陽師様が呪詛払いをして下さいましたので、まもなくよくなるかと」
    「そう…。安心致しましたわ」
    「えぇ、ありがとうございます。では、私はこれで…」
    「あ、お待ちください」

     下がろうとする女を、凛は引き止めた。

    「もし…、お嬢様の体調がお戻りにならないなら、外れに屋敷を構える陰陽師、土御門靖伴様をお頼り下さい。幕府の陰陽師様なら大丈夫かとは思いますけれど、一応」

     女はきょとんとした顔をしていたけれど、そのうちににこりと笑ってお礼を言った。屋敷の中へと入って行く女を見ながら、凛は屋敷を見渡した。呪詛とは、人が何かを呪うもの。人の念は時に私怨として力を持って人に害なすことがあるが、それを術として確立させたものが呪詛である。幕府の陰陽師が呪詛を払ったというのならば、この陰気は何であろうか。遠目からも屋敷に立ち込めている障気《しょうき》がわかるほど、この屋敷自体が呪いを受けている。

    「杞憂であればいいけれど、ね」

     凛はため息まじりに呟くと、屋敷へ背を向け帰路についた。



     
     
     何かの良い匂いに誘われ、日和は夕暮れの陽が差し込む部屋へと迷い込んだ。匂いの元は、すぐに見つめることができた。焚き染めの香は白く煙り、見覚えのある着物を染め上げている。

    「わぁ…これって、先生の…」

     もっとよく匂いを嗅ごうと香具に近づくと、その近くで靖伴が寝転んでいることに気がついた。思わず声を出しそうになった日和だったが、なんとかこらえ、寝顔を覗き込む。

    「……昔と、変わってない…」

     日和は呟くと、眠っている靖伴の側に座り込んだ。焚き染めの香はいつもよりも強く靖伴のことを感じさせた。普段はあまりお喋りをするほうでもなく、常に気難しそうな表情をしている靖伴も、こうして眠る姿はどこか幼い。

    「……ふふっ」

     十年も昔のこと、数日世話をした子猫のことを、彼は覚えていてくれた。いつか、恩を返すのだと、しぶとく生き伸びて本当に良かったと、日和はその大きな瞳を細めて笑った。

    「……何を笑っている」

     いつの間に起きたのか、彼は目を開けていた。

    「あ…ごめんなさい。起こしちゃいました…?」
    「いや…客が来たようだな」
    「え?」

     靖伴はむくりと起きると、日和の頭をくしゃりと撫で、部屋を出て行ってしまった。撫でられた所が熱を持つように火照り、日和はその場にうずくまる。

    「……〜〜〜っうあ……。……せんせ、狡い……。…………すきです…」

     黄昏の光は、ただでさえ赤い日和の顔を真っ赤に染めていた。







    「銀、誰だ」
    「あっ先生!」

     表に出ると、銀が客の相手をしているようだった。今日も咽せる様な暑い日だというのに、黒い布で顔までをすっぽり覆っている。

    「何か、用が?」

     黒い布をかぶったままの客は、背格好から女であることは間違いない。靖伴が声をかけると、びくりと怯え、そのまま頭を勢いよく下げた。

    「つっ土御門靖伴様…! 突然でありますが、失礼を承知でお願い致します! どうかお助けください…っ!」

     靖伴は銀と目を見合わせ、首を傾げた。すると、中から凛と日和が現れた。

    「……まぁ。貴方、橘様の」

     女は腰を低くしたまま頭を上げた。見覚えのある顔に、安堵した表情をする。

    「顔をあげてくださいな。やはり、末娘様はよくなられなかったのでしょう」

     女は恐る恐る頭をあげると、その間深《まぶか》く隠していた布を取った。女の首や顔には、黒紫色《こくししょく》の斑点が現れていた。銀と日和は息を呑み、靖伴と凛は眉をひそめた。女の身体から微かに漏れ出るものは、間違いなく障気。肌に現れた黒紫色の斑点は、障気を取り込みすぎたために出る典型的な症状である。凛は、やはり数日前のあの時に見た障気は払われていなかったのだとため息をついた。

    「橘の末娘、貴子《たかこ》様は、長く続く高熱に浮かされ、衰弱しきっておいでです。更に、貴子様のみならず屋敷の者達にもこのような不気味な斑点が現れ、屋敷中がまるで死人《しびと》の国のようでございます。元服を控えられた幸彦《ゆきひこ》様もこのところ体調を崩され…っ!」

     そこで、女は目に一杯の涙をたたえ、地面に伏した。

    「お願いでございます! 幕府の陰陽師様に連日呪詛払いをお願いしておりますが、一向によくなりません。他に頼るべきものわからず、藁にもすがる思いでお訪ねいたしました…っ! 助けて頂ければ相応のお返しはお約束致します故、どうか我らをお助けください…!」

     涙をこらえるように震える女に、日和がかけよった。女の横に膝をつくと、励ますように背を撫でる。夕暮れに静まりかえる中、声を発したのは靖伴だった。

    「泣くな。嘆《なげ》く程、光は遠のくぞ」

     女はすがるように、靖伴を見た。

    「奇跡とは、自らたぐり寄せるもの。……橘の家には遠からず縁がある。力になれるかは別だが」
    「……! では…っ」

     女の顔に、光が差したようだった。日和は女に寄り添い立たせながら、靖伴を見る。橙色に照らされた横顔が、やけに荘厳に輝いていた。

    「銀、都へ出かける。準備を」
    「あ、はいっ先生!」

     銀がばたばたと屋敷へ入るのを見送り、凛は口元を弧にし微笑んだ。立ち上がった女に、声をかける。

    「うちの若様、愛想はないけど腕は確かよ。きっと助かりますわ。あなた、奇跡をたぐり寄せましたわね」

     女はその言葉に、声を抑えられずに泣き崩れてしまった。


     まもなくして、銀が何やら大きな荷物と共に現れた。

    「先生、これでいいっすか?」

     銀の持って来たものは、大きな桐の箱一つと、ふろしきに包まれた筆や紙といった細々とした道具だった。

    「あ、あの、先生…!」
     
     当然のように同行する流れで話している凛と違い、日和は一人流れに乗れていなかった。

    「わっ私も連れていってください! 何でもやります! お手伝いさせてください! 荷物持ちもできますよっほらっ!」

     そう言って、大きな桐箱を持ち上げようする。なんとか辛うじて持ち上がった箱は、予想したよりもずっと重く、日和はさっそく覚束ない足でふらふらとしていた。

    「……」
    「あ、先生…」

     靖伴は大きくため息をつくと、日和がよろよろと歩き出そうとするのを横から抑え、桐箱を奪い取った。軽々と持ち、代わりに自分の持っていたふろしきを渡す。

    「お前はこっちだ」

     ふろしきを持たされた日和は、自分の持っているものと靖伴を交互に見ていたけれど、やがて意味を理解しにこっと笑った。

    「先生、ありがとうございます!」

     靖伴は満面の笑みを浮かべる日和を一瞥すると、凛に寄り添われるように立つ橘の屋敷の女を先頭にして、屋敷へと向かった。銀は行かないのかと日和が振り返ると、視線に気づいた銀は舌を出し、手をおざなりに振りながら屋敷に入ってしまった。そういえば、彼が屋敷を離れるのをあまり見たことがない。屋敷の中のことを任されている銀は、いつも忙しそうで、そのせいだろうか。日和はしばらく考えていたが、靖伴たちが大分遠くなってしまっていることに気づき、あわてて後を追いかけた。




     靖伴が屋敷についてまず感じたのは、息苦しいまでの陰の気だった。悪さをするまではいかずとも、障気となる一歩手前のこの陰気は、自然に溜まったものではないだろう。

    「うわ…酷い…」

     靖伴の陰にいた日和も、その陰気が見えるのか、口元を袖で覆う。日和は髪の色や目の色があまりに目立つため、尼のように布を頭から巻いていた。凛は露骨には出さないが、わずかに眉をしかめている。靖伴は日和に近づき、耳元で何やらつぶやいた。

    「……あれ? なんだか楽になりました」

     今までの息苦しさがなくなり、相変わらず目に見える空気は淀んでいるのに、体は軽い。不思議に思い靖伴をみると、頭をくしゃりとなでられた。

    「お前は感受性が高いのかもしれん。今守護の術をかけたから、しばらくはもつだろ」

     日和は、またも顔が赤くほてるを感じたが、今はときめいている場合ではないと、頭を振った。

    「まずは、貴子様のお部屋へご案内いたします」

     屋敷の中は、外からみるよりもずっと障気が溜まっていた。この中で生活すれば、健康な人間でも徐々に蝕まれていくだろう。

     橘家には多くの娘がいると聞くが、末娘は最近やっと七つの歳を迎えたばかりだとか。当主の政彦≪まさひこ≫が大層可愛がっていることも、周知のことであった。その末娘貴子が突然倒れたのは、ひと月も前のこと。次第に衰弱し、不気味な斑点が出現し、幕府のお抱えの陰陽師に呪詛払いを依頼したのだ。けれど、幾人の陰陽師を呼んでも一向に症状はよくならず、ついに屋敷のものにまで、不気味は斑点が出るもの、体調不良を訴えるものが出始めている。

     一連のことを聞いた靖伴は、貴子の部屋だと言われ、開けられた襖から中に入らずに立ち止まった。どうしたのかと日和が見てみると、中からは見たこともないほど濃度の高い障気があふれ出ていた。

    「…わ…」

     靖伴が凛に目配せをすると、凛は無言でうなずいた。

    「日和様は、こちらで」

     別の場所へと遠ざけようとする凛に、日和は抵抗した。

    「あ、わ、私、大丈夫ですから、ここにいたいです…!」

     実際、見える障気が濃い割には、靖伴の術のおかげかそれほど気持が悪いということはない。靖伴をみると、呆れたように息をはいた。そして、凛に目配せをする。凛はうなずくと、日和を連れ出そうとしていた手を下した。

    「どうぞ」

     女は自らも障気に犯されているが、気丈に中へと案内した。


     中へと入ると、淀んだ障気が渦巻く中、褥の中で横たわる幼い女の子が見えた。着物から出ている部分だけでも、顔も、その小さな手もすべてが、遠目にはまるで黒く染まっているように斑点が肌を埋め尽くしている。

    「凛、まずはこの部屋を清める。陣を張るから準備を」

     凛は慣れた手つきでふろしきの中から筆と硯≪すずり≫を取り出すと、見慣れぬ赤い粉を出して瓶に入れられていた液体と溶いている。靖伴は筆を持つと、何かをその筆へと込めるように印を結んだ。

    「日和様、そこでは邪魔になりますわ。こちらへ」

     貴子の傍で座っていた日和は、凛に呼ばれ、屋敷の女と共に部屋の隅へと移動した。

     靖伴は持ってきていた桐箱を持ち出すと、中から大きな壺を取り出した。黒く光る壺に、日和は不思議な力を感じた。

    「あの壺、何が入っているんですか?」

     声を潜めて凛に尋ねると、凛はふふ、と笑って答えた。

    「何も入っておりません。今から、あの中にこの障気を封じ込めるのですわ」

     貴子のすぐそば、部屋の中央に置かれた壺の周りに、靖伴は先ほどの筆と硯で文字を書き始めた。流れるように書かれていく文字は、赤いような黒いような、不気味な色をしていたのだけれど、靖伴が最後の文字を書き終え、何かをつぶやくと、とたんに光を放ち始めた。

    「わ…ぁ…」

     黒くも見えた赤い文字は、赤い光を放ちながら、床から剥がれて舞っている。屋敷の者も、何事かと部屋をのぞいて驚いていた。女は、驚きのあまり声を発することさえできない。

    「……かような術…見たことないぞ…」

     最初は数人だった見物人が、いつの間にか部屋の外いっぱいになっている。

    〔ーーー弱きものよ、我が命に従え〕

     靖伴は、今まで日和が聞いたことのない声で。同じ部屋にいるはずなのに、どこか天から声が降っているような、不思議な響きを持つ声で一言そう言い放つ。すると、今まで自由に部屋の中を舞っていた赤い文字が、部屋中の障気を巻き込みながら螺旋を描き、壺の中へとおさまっていく。すべての文字が壺へと入ると、部屋の中に障気はなくなり、清らかな空気が流れていた。

    「……ん……」

     部屋から障気がなくなって間もなく、貴子が目を覚ました。身体中を覆っていた斑点は未だ消えてはいないけれど、少しだけ薄くなっているのが目に見えてわかった。屋敷の者共は歓喜し、口ぐちに靖伴に感謝を述べた。


     貴子が目覚めたという知らせを聞き、当主政彦が顔を出した。浮かれ通しの部屋が、当主を見たとたんに静まり返る。そして、靖伴たちを案内した女が一番に口を開いた。

    「旦那様! 貴子様がお目ざめに! 陰陽師の土御門靖伴様のお陰でございます!」

     当主は貴子を一瞥すると、靖伴に向かって深く頭を下げた。

    「正直、この呪詛を払えるものはいないのかとあきらめておりました。ありがとうございます」
    「まだ…呪詛を払いきったわけではありません。お嬢さんは障気を取り込みすぎているので、中からも浄化する必要がある。それに、この屋敷にかけられた呪いを完全に断つには、何か障気の元となるもがあるはず。それを見つけ出さなければ…」

     当主は顔をあげ、目を丸くした。

    「それを見つければ、完全に払えるのですか」
    「えぇ、見たところ、呪詛はお嬢さんに特別かけられたものではありませんでした。ただ、彼女が一番影響を受けやすかっただけ。放っておけば、屋敷中が呪詛によりお嬢さんと同じ状態になる」

     靖伴は特に、脅すような声で言っているわけではなかったが、当主を始め、のぞき見をしていた屋敷のもの達は明らかに恐怖に顔をひきつらせていた。

    「………お父上様…」

     不安の立ち込める静寂は、病床にいた幼い少女の声によってかき消された。まだ調子の戻っていないだろう身体を起こそうとしている。日和は傍へとかけより、起き上がる手伝いをしてやった。

    「私をお助けいただいたのは、あなた様ですね。深く感謝申し上げます」

     たった七つとは思えぬ口のきき方に、靖伴以外のその場にいたもの全員が感心していたが、彼だけは少しだけその口元を引き上げるにとどめた。

    「お話は聞こえておりました。その障気の元とやらを見つけ、我が屋敷にかけられた呪詛を払うことは、あなた様にできるのでしょうか」

     屋敷の一同が靖伴へと視線を注ぐ中、靖伴が今度は明らかに、凄艶にその口元をゆがめた。

    「もちろん」

     少女とは言え、身分でいえばかなり上にあるお家の姫君に対して、この物言いである。謙遜や世辞が美徳の世の中で、傲岸不遜とはまさにこの男のためにあるのだと、凛はため息をついた。この性格のために、この才能が花咲く場を与えられず、あんな辺鄙なところに屋敷を持つようになってしまったのだ、と。

    「貴子、もういい。お前は休みなさい。土御門靖伴殿と言ったかな。今夜はこちらにお泊りくだされ。ご迷惑でなければ、明日以降、その障気の元とやらの捜索と呪詛払いをお願いしたい」

     橘家当主といえば、普通であれば会うことも叶わないような天上人である。その当主、政彦が、無名の陰陽師、靖伴に頭を下げるなど前代未聞であった。

    「……承知した」

     いつもの調子をつゆも崩さず、いたって平然と答える靖伴を見て、日和はどちらが偉い人なのか混乱してしまいそうだった。